2009年06月24日

「第2回東北アジア地域協力発展国際会議」での専門報告会の発言

朝鮮民主主義人民共和国の経済改革の現状と課題
                        
          日本環日本海経済研究所調査研究部主任研究員(ERINA)  三村光弘

1. 北朝鮮の経済改革推進過程(1998~2005年)
1998年憲法改正と経済管理機構の変化
北朝鮮の経済改革の開始が、経済管理システムを大幅に改編する制度的措置がとられた時であるとするならば、この憲法改正がその時となる。1998年の憲法改正の要点は、国家主席・中央人民委員会制度の廃止による国家機構の大幅な改編、経済における内閣制の採用にともなう中央の管理の強化 、経済や外交に関する規定に過去6年間の成果を反映させたことである。

国営企業のリストラと経済計画作成方法の変化
1998年の憲法改正後、北朝鮮における経済改革は、まず国営企業のリストラ、経済計画作成方法の変化からはじまり、その後企業管理方法の変化、価格や給与の見直しへとつながっていった。
 国営企業のリストラは1999年初めから2001年にかけて進行した。中川雅彦(2005)はこのリストラが、「動いている企業をつぶすことよりも、能力のある企業を選んで動かしていくことに重点があったと見られる」と分析している。
 朴在勲(2005)によれば、リストラの目標は、生産の専門化であった。企業ごとに生産を専門化することや、部門別あるいは品種別の専門生産を行う企業を創設することである。北朝鮮式企業連合である連合企業所もこの原則に従って不合理な企業は合理化し再構築するということになった。
 経済計画作成方法における変化については、朴在勲(2005)によれば、従来は3段階 の経済計画策定プロセスを踏んでいたが、まず計画化工程の簡素化を行った 。同時に、戦略的意義をもつ指標(電力、石炭、自動車など)以外の計画策定権限が地方・下部機関へと移譲された。また、従来からある量的指標に加えて、質的指標、貨幣的指標の計画化を重視する方向への変更が行われた 。

経済改革の深化と「実利社会主義」の誕生
 北朝鮮の経済改革の深化を象徴しているのが、「実利」というキーワードである。新年共同社説を見ると、2001年頃から、「実利」という言葉が経済管理の改善と関連して使われはじめるようになる。2001年10月3日には、金正日総書記は「強盛大国建設の要求に即した社会主義経済管理の改善強化について」という講演を行った 。この講演の趣旨は、(1)社会主義原則を固守しつつ、実利最大化を実現することが主軸で、(2)計画経済に一層現実性と科学性を持たせる、(3)分権的に裁量権を与え、経済全般の生産性と経済主体のモチベーションを向上させる、(4)経済システムに柔軟な対応性を持たせる、(5)プラスのモチベーションだけでなく、マイナスのモチベーションも導入する、である。
 北朝鮮の研究者は李幸浩(2007)でこのような動きを「新世紀が始まった最初の年に、社会主義強盛大国建設の要求に応じて社会主義経済管理を改善し、完成させるなかで、社会主義原則を確固として守りつつ、最も大きい実利を得られる経済管理方法を見つけ出すことを最も重要な原則に掲げ、その実現に努力している。」と位置づけている。

企業管理における変化
 1998~99年ころは経済改革の対象が、国営企業の経営活動の外形に関わる部分であったとすれば、2001~03年ころの変化は、企業経営の内部における変化が大きい。変化の具体的な形としては、まず、不足した物資を国営企業同士が融通する通路としての「社会主義物資交流市場」の運営と、独立採算制の見直し、特に質的指標の重視と相対的な経営自主権の増大があげられる。新たな独立採算制の特徴は、朴在勲(2005)によれば、企業の採算を計るための新しい指標が設定されたことである。これは「稼ぎ高指標」というものである。ここで、「稼ぎ高」とは、企業の総販売収入より生活費(賃金)を除いた販売実績原価を向上したものであり、新たに創造された所得部分であるとされる。

稼ぎ高=企業総販売収入—{販売実績原価-(生活費)}

このような国益企業の経営環境の変化の結果、社会の利益よりも企業の利益を優先することを批判して「機関本位主義」という言葉がしばしば用いられるようになっていく。

経済管理改善措置
 2002年7月に北朝鮮は、「経済管理改善措置」と称する物価と賃金の大幅な改革措置を行った。この措置の主要な内容は、(1)コメやトウモロコシなどの穀物の配給に伴う逆ざや廃止、(2)国家による恵沢(無料で提供されるもの)の削減、(3)価格の上昇に応じて給与を調整であった。その他、これまで料金を支払うことが少なかった住宅使用料(家賃)や電気料、水道料なども徴収されるようになった。教育や医療は依然無料のまま据え置かれたものの、1980年代後半までの文句を言わなければ最低限の生活は保障されたシステムは制度としても終焉を迎え、社会主義分配原則(能力に応じて働き、労働に応じて分配を受ける)が徹底されることになった。

商品流通における市場メカニズムの部分的導入と所得格差の発生
 商品流通において、地域市場など国営流通網以外のネットワークが誕生してきたが、これらのネットワークでは、個人の経営であったり、所有制こそ国有や協同団体所有ではあるが、国家計画に基づかない商品流通が増加していたりする。
このような市場メカニズムの部分的導入に伴う個人主義的な発想が北朝鮮の社会にどのような影響を与えたかを実証的に分析した研究はまだ存在しないが、筆者が観察した平壌の統一通り市場の販売員(ほとんどが中年女性)たちは2004年には物静かで恥ずかしそうにしており、お客とあまり目を合わせなかったが、2006~07年以降には堂々と相手の目を見てセールストークを行うようになっていた。その態度は中国や韓国の市場の女性たちとあまり変わらなくなっていた。

表 1 平壌市「統一通り市場」の商品価格

(出所)筆者による現地調査

表 1を見ると、北朝鮮の市場での商品価格は爆発的ではないにせよ、かなりの速度で上昇していることがわかる。他方、2002年7月の「経済管理改善措置」で定められた生活費(給与)の規定は、筆者の北朝鮮の経済学者に対するインタビューによれば現在も変化がない。そのため、規定の給料では市場での買い物はほぼできないものと考えざるを得ない。しかし平壌市の「統一通り市場」には、2008年9月現在、推定5,000人以上の買い物客がいる。かなり多くの人々が、2002年7月に規定された給与基準以上の収入をもっていると仮定しない限り、統一通り市場に商品と人があふれている状況を説明することはできない。

2. 社会主義計画経済原則の強調と経済統制の強化(2006年~)
引き締め路線への突入
北朝鮮の経済改革の進化に伴う各種の措置とそれに伴う社会の変動は、2006年ころから、「実利主義」よりも社会主義計画経済原則や集団主義原則の強調という形で経済政策を変化させ始めた。

表 2  2005~09年の新年共同社説の内容一覧

(出所)『朝鮮中央通信』報道より筆者作成

 例えば、2006年に国営企業の評価基準である「稼ぎ高指標」が「純所得」指標に変更された。その理由は、朝鮮の複数の経済学者によれば、企業所が勤労者の労働意欲を引き出すために、過度に生活費(賃金)を引き上げる偏向などが起こったためだとされる。

純所得=販売収入-原価(原価の内容は減価償却費+原材料費+生活費)

表 2は、2005~09年までの新年共同社説の主要内容をまとめたものであるが、2006年を境にして、社会主義計画経済原則や集団主義原則が強調され、近年では経済面では自力更生の強調、政治面では党の指導力強化が強調されていることがわかる。
 2007年11月9日付の韓国の『朝鮮日報』のオンライン版記事によれば、朝鮮で中年女性(20~40代)の市場の商行為が禁止され、混乱が生まれているという人権団体機関紙の記事が紹介されていた。その主な理由は、商売を理由にして、人民班(住民末端組織)を通じた教育事業や各種の無給動員事業を抜け出す事例が日常化しているためであるとのことである。
その他、2008年に筆者が北朝鮮の経済学者にインタビューしたところ、北朝鮮では国営企業所で生産した商品(軽工業製品など)を市場で販売することを一切禁止し、国営商業網で販売することを原則としたそうである。このような経済政策を実行に移した場合、国民に対して食糧と生活必需品を国家が充分に保障できなければ国民の不満がかなり高まることにつながる。国家統制の強化は、国家による国民生活の保障があってこそ成り立つのであり、そのような環境を北朝鮮が作り出せるのかどうかが問われている。

非国有セクターの増加と国家財政不足
 最近、北朝鮮で出版されている学術雑誌に掲載されている論文を見ると、現在の北朝鮮経済が抱えている問題が浮き彫りになっている。そこで論じられているのは、国家財政不足、経済の市場化の抑制、重工業優先の開発戦略正当化、国営企業の経営自主権の統制強化、食糧管理の強化国営企業の経営自主権の積極的利用などである。
 ここから、現在の北朝鮮経済には、これまで行われてきた経済改革措置は制度的には基本的に残存しており、自然発生的に生じた市場的要素ないしは非国営セクターは、拡大の方向にあるものの、政策的にはそれを引き締める方向性をとろうとしていることがわかる。
経済的には、国家財政に余裕がなく、それが重工業をはじめとする国家経済計画の遂行の足を引っ張っており、貨幣が非国営セクター内で滞留しているためであると分析している論文が多い。このような状況を改善するためには、国営企業に対する経営自主権の統制強化や「下からの市場化」によって国家の統制を離れた部門を再び国家の統制下におくことを必要だと主張する論文がある。
これは、重工業部門を中心とする製造業の生産正常化を成し遂げるためには、膨大な投資が必要とされるが、その投資資金を作るためには、非国営部門で取引されている消費財や生産財を国家統制の下におき、国営商業網による取引に切り替えることにより、現在非国営部門に退蔵されている貨幣を国家の手中に収める必要があると考えているからである。
政治的な面から見れば、前述したような利益優先の個人主義の拡散や国営企業の「機関本位主義」に見られるようなミクロレベルでの経済利益の追求によるによる支配イデオロギーの変容、瓦解を警戒している、と分析することできるだろう。朴泂重(2008)はこれを張成沢の復権と関連づけて指摘している 。

3. 現在の経済政策の方向性とその限界
現在の経済政策の方向性
 これまで述べてきたように、北朝鮮の経済政策の方向性は2006年以降、非国営部門の成長もある程度許容した全般的な経済の正常化から、国家の統制を強化しつつ、重点部門の重工業に投資を集中していく戦略をとろうとしているように見える。重工業の復活は伝統的な経済政策への回帰の色彩が濃い。同時に金属工業、石炭工業、電力工業、鉄道運輸の4つの優先整備対象相互間の連携がある程度取れるようになってきたことも関連していると思われる。政治的な面では、個人主義の拡散による支配イデオロギーの相対化を恐れているようである。
 北朝鮮は日米との関係が改善するにはかなりの時間が必要だと見て、図 1のようにこれまでは中国と韓国からの経済支援を重視すると同時に、欧州や東南アジア諸国との経済関係を開拓しようとしてきた。しかし、米国によるテロ支援国家指定は解除されたものの核問題での進展が限られていることから、欧州との経済関係拡大も水面下での動きはあるものの、大規模投資を受け入れることは難しい状況にある。
南北関係は2008年2月の李明博政権の登場以降、悪化の一途をたどっている。図 2のように、2008年末現在の南北交易額は全体としては増加しているが、盧武鉉政権の終わりまで韓国政府が北朝鮮に対して支援していたコメや化学肥料、軽工業原材料などは提供されていない。

図 1 2007年の北朝鮮の主要貿易相手国とそのシェア

(出所)KOTRA

図 2 南北交易額の推移(韓国ベース)

(出所)韓国・統一省『南北交流協力動向』2008年12月号

 このような韓国との関係悪化の一部は、北朝鮮の対中貿易の増加という形で現れている。図 3は北朝鮮の対中貿易額の推移であるが、2008年の貿易額は前年に比べて大幅に増加した。特に中国からの輸入が増加し、貿易赤字の額が約12.8億ドルとなっている。

図 3 北朝鮮の対中貿易額の推移

(出所)KOTRA、World Trade Atlas

4. 今後の北朝鮮経済の見通し
 北朝鮮の各種報道では2012年に「強盛大国の大門を開く」とのスローガンで経済建設が進められているように報じられている。北朝鮮はこのような復興案に対する自信があるように見えるが、2012年までに国内の技術と原料だけで重工業の拡大再生産を行うところまで生産を回復することは相当難しい。どこからか相当の支援を引き出さなければならないが、現状では中国からの支援しか可能性がない。南北関係が2009年も悪い状況が続けば、北朝鮮経済は北朝鮮指導部の本意ではないにしても本格的に中国への依存を高めて行くであろう。
 北朝鮮の引き締め傾向は、経済的に見れば、非国営部門に退蔵された貨幣を国営経済の中で再度流通させるための努力であると言うことできる。すなわち政治的にはこれまでの経済改革の進んできた道を点検し、そこに潜む体制にとっての脅威を排除しつつ、経済的には国家統制に対する文句が出ない程度にまでは国民生活を安定させ、社会主義計画経済を復活させることができる条件を作り出すことにあると思われる。
 南北関係と米朝関係、日朝関係に質的な変化が訪れない限り、2012年までは社会主義計画経済原則に基づいた経済復興案が試みられる可能性が高いと思われる。しかし、北朝鮮が現在国是として掲げている「強盛大国」は経済問題が解決しなければ実現できない。米国と周辺諸国が北朝鮮が経済建設を重視し、「ふつうの発展途上国」になり、経済成長路線を歩むように誘導することが北東アジアの冷戦構造を取り除き、ひいては北朝鮮の真の変化を誘導し、この地域に平和と中長期的な繁栄をもたらすことにつながる。北朝鮮の現状を変えるためには、圧迫ではなく共感と連帯をもってあたらなくてはならない。

【参考文献】
日本語文献
金正日(1990)「人民生活をさらに向上させるために」『月刊朝鮮資料』1990年2月号、pp.10-23
木村光彦(1999)『北朝鮮の経済』、創文社
張進宇(2007)「朝鮮における実利重視の経済管理の改善」、『ERINA REPORT』vol. 76(2007.7)、pp. 54-57
中川雅彦(2005)「経済現状と経済改革」中川雅彦編『金正日の経済改革』、アジア経済研究所、2005、pp. 1-14
朴在勲(2005)「工業部門と国家予算に見る経済再建の動き」中川雅彦編『金正日の経済改革』、アジア経済研究所、2005、pp. 29-52
三村光弘(1999)「朝鮮民主主義人民共和国の新経済戦略と1998年憲法改正」『阪大法学』第49巻1号pp. 219-243
三村光弘(2000)「朝鮮民主主義人民共和国1998年憲法改正と人民経済計画法」『環日本海研究』第6号、pp. 44-54
文浩一(2004)「朝鮮民主主義人民共和国の経済改革―実利主義への転換と経済管理方法の改善―」『アジア経済』第45巻7号、pp. 45-62
李基成(2006)「21世紀初頭の朝鮮の経済建設環境」、『ERINA REPORT』vol. 72(2006.11)、pp. 18-22
李錦華(2007)「朝鮮における情報技術の発展とその利用」、『ERINA REPORT』vol. 74(2007.3)、pp. 10-12
アジア経済研究所『アジア動向年報』各号
『月刊朝鮮資料』各号

朝鮮語(韓国語)文献
韓国銀行『北韓のGNI推計』各年度版(ただし、2006年版は発行されず)
韓国貿易協会(2007)『2006年1~12月南北交易動向』、韓国貿易協会
大韓貿易投資振興公社(KOTRA)『北韓の対外貿易動向』各年度版
統一省『統一白書』各年度版
『経済研究』各号
『金日成総合大学学報』(哲学・経済学)各号
朴泂重(2008)『2006年以来北朝鮮の保守的対内政策と張成沢:2009年の北朝鮮を展望して』統一研究院オンラインシリーズCO 2008-72 [www.kinu.or.kr/2008/1223/co08-72.pdf]


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Posted by 虎ちゃん at 22:11│Comments(0)友人の大作
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