2007年03月23日
あこがれの北海道、沖縄訪問
笪志剛
黑龙江省社会科学院经济研究所国际经济研究室主任、研究员
客員研究員としてのERINAへの派遣期間が終了する直前の3月5日~11日に、ずっと憧れていた北海道と沖縄を旅した。1週間の間に雪が舞う札幌市から夏を感じさせる那覇市まで、日本列島の縦断の旅だった。
札幌は5年振り、5度目の訪問だ。12年来の友人である北大農学部の教授と再会した。二人で肌寒い風の中で時計台の鐘聞いては有島武郎の「星座」を思い出し、オープンしたてのJRGOGO飲食街や札幌ハルビン飯店に行っては、一緒に酒を飲み、思い出を語り合った。
銀世界の札幌に対して、沖縄は南国の風情を漂わせ青い空・海・島で観光客の心を慰める。近年、沖縄観光・飲食ブームに加えて、「沖縄文化」、「沖縄考古」、「沖縄歴史」に注目が集まり、「沖縄は日本古代歴史の集大成」といわれるほど、歴史・社会学者が関心を寄せている。国際通り、美ら海水族館などはもちろん魅力的だったが、ひめゆりの塔や平和祈念堂などでは、過ぎ去ったあの激動の時代の人々の悲鳴が聞こえてくるようで、印象深かった。
今回の旅は、新潟から空路で札幌へ行き、また新潟に戻った後、新幹線で東京へ行きそこから那覇へ向かった。これは合理的な方法ではないかもしれないし、正真正銘の縦断ではないかもしれない。しかし、札幌と那覇を訪れる際の中継地として、住み慣れた新潟の存在が私には無視できなかった。新潟が私の拠点なのだ。
私は、もう中国に帰国するが、1年間を過ごした新潟が、4月に日本海側唯一の政令指定都市として新たに生まれ変わり、さらに魅力的な都市となることを期待している。
ERINA(環日本海経済研究所)ダ志剛(ダは(たけかんむり+旦))
新潟日報エリナレター2007年3月20日掲載

写真は著者が3月6日札幌にて
2007年01月18日
信濃川漫歩 新潟に魅入られ
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
新潟を訪れたことは何度かあったが、3月下旬から客員研究員として半年間を新潟で過ごすこととなったお陰で、初めて新潟の桜を見ることができた。これまでに体験した東京や京都でのうららかな花見と違って、新潟の花見は少し肌寒かった。
朱鷺メッセから千歳大橋へ、抱き合い座るカップルや、桜の木を囲んで飲みながらおしゃべりに興じる人々、シャッターを押す外国人などを見ながら歩いた。ふと、「信濃川慕情」の歌碑(=写真=)の前で足が止まった。
「町に流れる長い川」…歌碑をながめ、詩の哀愁を味わった。300年にわたる徳川幕府の財政を支え、繁栄した新潟。この「母の河」に抱かれ、良い水や米に恵まれた豊かな大地とその義理人情の厚い土地で、良寛名僧、山本五十六海軍大将、田中角栄総理大臣、羽黒山横綱を生み出した新潟。風に煽られながらも咲き誇る桜を通して、都会の喧騒的な雰囲気とは異なり、素朴だが力強い新潟が好きになった。
新潟を知るにはまだ早いが、花を見ながらやすらぎ堤を漫歩し、この地に心が引き寄せられるのを感じた。中国からやってきてまだ1ヶ月。それでも、この新潟の街が不思議と気に入っている(原文は
新潟日報エリナレター2006年5月17日掲載)。
信濃川慕情の歌碑
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
新潟を訪れたことは何度かあったが、3月下旬から客員研究員として半年間を新潟で過ごすこととなったお陰で、初めて新潟の桜を見ることができた。これまでに体験した東京や京都でのうららかな花見と違って、新潟の花見は少し肌寒かった。
朱鷺メッセから千歳大橋へ、抱き合い座るカップルや、桜の木を囲んで飲みながらおしゃべりに興じる人々、シャッターを押す外国人などを見ながら歩いた。ふと、「信濃川慕情」の歌碑(=写真=)の前で足が止まった。
「町に流れる長い川」…歌碑をながめ、詩の哀愁を味わった。300年にわたる徳川幕府の財政を支え、繁栄した新潟。この「母の河」に抱かれ、良い水や米に恵まれた豊かな大地とその義理人情の厚い土地で、良寛名僧、山本五十六海軍大将、田中角栄総理大臣、羽黒山横綱を生み出した新潟。風に煽られながらも咲き誇る桜を通して、都会の喧騒的な雰囲気とは異なり、素朴だが力強い新潟が好きになった。
新潟を知るにはまだ早いが、花を見ながらやすらぎ堤を漫歩し、この地に心が引き寄せられるのを感じた。中国からやってきてまだ1ヶ月。それでも、この新潟の街が不思議と気に入っている(原文は
新潟日報エリナレター2006年5月17日掲載)。
信濃川慕情の歌碑

2007年01月18日
節約型社会の構築は日本から学ぼう
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
5月31日、日本の経済産業省は「新国家エネルギー戦略」を打ち出した。2030年までに日本はエネルギー利用効率をさらに30%改善し、石油依存度を現在の50%から40%以下にし、発電量に占める原子力発電の比率を30~40%程度以上にし、自主開発石油の輸入を現在の15%から40%程度に上げるなど、5つの数値目標を戦略の中核としてまとめた。国際石油価格の高騰が長期化する中で、エネルギーの安全保障と環境保護・節約型社会との一体化の兆しがうかがえる。実現すれば、日本自身だけでなく世界のエネルギー問題への貢献が期待できる。同時に、エネルギー需要の急増に伴う中国の資源有効利用への不安がよぎった。
中国経済の著しい発展は世界的な注目を浴びている。一方、経済発展を制限する資源の減少やエネルギーの浪費による効率低下などの問題も目立ち始め、2002年からの南部地域の電力危機、全国的な石炭・石油供給の逼迫など、経済発展と資源確保の両立が迫られている。日本市場で9割を占める中国産の割り箸を例にとると、中国の割り箸の年間消費量450億膳だけで、2,500万本もの大木が伐採された数に相当する。資源が減少し、その有効利用が求められる中国において、環境に優しい資源節約型社会の構築が中国新五カ年計画の重要な柱となり、資源を狙った対外投資が急増し始めるのは、こうした背景があると考えられる。
エネルギー資源の節約型社会を目指し、中国では中央から地方まで、省エネを始めグリーンエネルギーやエコ関連の強制標準及び節約条例を準備し、続々登場させる動きが出始めた。その効果が現れるまでにはまだ時間の検証が必要だが、現段階では、強制的な条例より日常生活から節約の意識を喚起し、節約の潜在力を引き出す方がより効果的であろう。
この点で、われわれの手本になりうる日本での経験について触れたい。燃えるゴミと燃えないゴミなど、系列的なゴミの分別処理とリサイクルはもちろんだが、われわれには奇妙にも映るエネルギー節約の発想が、小池百合子環境大臣の発案で昨年始まった「クールビズ」と「ウォームビズ」だ。夏の軽装と冬の厚着の断行で、公務員やサラリーマンの士気や業務効率が上がっただけでなく、天文学的数字に上る冷暖房エネルギーを官公庁、会社、各家庭で節約し、環境にやさしい省エネに繋げた。こうしたプラス面の反面、礼儀至上主義の一部の日本人には、ノーネクタイ・ノースーツは失礼に当たると思われがちだ。「地球温暖化防止通勤中、軽装で失礼します」、「地球温暖化対策実践中、ノーネクタイ・ノースーツで失礼します」のようなクールビズ奨励バッジが彼らの気持ちを和らげ、新しいビジネスとしても期待されている。
調査によると、70%以上の国民が軽装の「クールビズ」と厚着の「ウォームビズ」の継続実施に賛成し、固定化させようという声も出ている。また最近では、韓国の経験を参考に、使い捨てコップの代わりにマグやガラスコップを使えば20円引きというコーヒーショップも日本に現れ、資源節約と環境保護を一体化する意識がスモールビジネスにも浸透してきていることを感じさせる。このように節約の発想を日常生活に浸透させ、国の政策にも影響するほど広く認識させた結果、世界的な流行語「もったいない/Mottainai」に変貌していく。節約型社会の構築に関して、東の隣人はわれわれにすばらしい手本を作ってくれた。
新潟県は建設業の企業数・従業者数の占める割合が高い県の一つだが、その背景には克雪・克寒のための建築技術の要請があり、その中で自然エネルギーを利用したり、資源を有効利用したりするための工夫も重ねている。外壁、屋根、床、窓の断熱、自然採光と通風、水資源有効利用、照明エネルギーの最小限利用などの技術は、中国で最も寒く、エネルギー消耗の多い黒龍江省との相互補完も可能で、提携すれば何らかのビジネスチャンスに繋がるとものと予想される。
5月29日、東京で開催された「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」には、打開策がなく低迷している中日関係の中で大きな期待が寄せられた。その成果を踏まえ、凍結解除された2005年度の対中ODAを大気汚染と省エネに集中して行うことができれば、機運が高まる中日省エネ協力、さらには地方経済の相互補完と活性化に貢献することができよう。このことが双方の国民感情を回復し、友好を深め、中日地方間の協力プロジェクトとして市民の間にも恩恵が及ぶ試みになるであろうと、本コラムを通じて大いにPRしたい(原文は[ERINA REPORT]2006vol.71掲載)。