2007年01月25日
仰天四季――妻への偲び偶感
ERINA客員研究員・黒龍江省社会科学院経済研究所研究員 笪 志剛

「春」
風の吹き始まる黄昏
信濃川岸での一人徘徊の姿
知っているか
さらさら風も無言の寂しさを語る
「夏」
まばたき星達の月夜
一人で蒼天を見仰ぐシルエット
知っているか
星の移動も眠れず標しである
「秋」
小雨降りの潮時
孤独に窓前に突立って
知っているか
ぱらぱら雨も糸切れ思念である
「冬」
雪の飛び散る今ごろ
一人で家帰りの途中
知っているか
透き徹る雪弁も凝結の涙である
注:この詩は僅か幾分間で完成したもので、推敲すべきである詩歌の創作規律に背くかも分かりません。だが、抑えられない妻への偲びが霊感をそそり、四季仰天だけでなく筆者の心をもびっくりさせた。心にこれほど分量のある妻がいるなんだ。

「春」
風の吹き始まる黄昏
信濃川岸での一人徘徊の姿
知っているか
さらさら風も無言の寂しさを語る
「夏」
まばたき星達の月夜
一人で蒼天を見仰ぐシルエット
知っているか
星の移動も眠れず標しである
「秋」
小雨降りの潮時
孤独に窓前に突立って
知っているか
ぱらぱら雨も糸切れ思念である
「冬」
雪の飛び散る今ごろ
一人で家帰りの途中
知っているか
透き徹る雪弁も凝結の涙である
注:この詩は僅か幾分間で完成したもので、推敲すべきである詩歌の創作規律に背くかも分かりません。だが、抑えられない妻への偲びが霊感をそそり、四季仰天だけでなく筆者の心をもびっくりさせた。心にこれほど分量のある妻がいるなんだ。
2007年01月23日
女性の美
ERINA客員研究員・黒龍江省社会科学院経済研究所研究員 笪 志剛

女性の美は
瞬間にあり
女としての運命の生まれから
女性が生命延長の使命を
伝承された
女性の美は
一生にあり
懐妊で母になろうという一刻から
女性が生命育ちの重荷に
下ろされない
女性の美は
恒久にあり
子供を成人させる日から
女性が生命万歳の輪廻を
完成させる
詩を書く感想:「日本経済新聞」に掲載されたこの写真を見た瞬間、女性の一瞬の美、一生の美を強く感じた。画面を通して女性の偉大さ、素晴らしさ、生命の壮麗、人間の美しさなどを吟味でき、女性の美も心の隅々まで広げていく。
2007年01月19日
東瀛の恋――ある日本の女の子へ捧げる「詩]
ERINA客員研究員・黒龍江省社会科学院経済研究所研究員 笪 志剛

(一)
すれ違いざまに目にした微笑
黙々としたあなたの視線
一挙手一抬足の優雅
見守らせてくれ
東瀛の娘
(二)
膝を交えて眺めた喜び
にこにこしていた表情
朗らかな楽しい仕草
恋は思案のほか
東瀛の娘
(三)
スクリーンの中の暗闘
隣座りで互いの遠慮
台詞以外の瞑想
近づかせてくれ
東瀛の娘
(四)
夜のとばりに包まれている駅
ひっきりなしに通過している人
バス発車のとどろき
呼ばせてくれ
東瀛の娘

(一)
すれ違いざまに目にした微笑
黙々としたあなたの視線
一挙手一抬足の優雅
見守らせてくれ
東瀛の娘
(二)
膝を交えて眺めた喜び
にこにこしていた表情
朗らかな楽しい仕草
恋は思案のほか
東瀛の娘
(三)
スクリーンの中の暗闘
隣座りで互いの遠慮
台詞以外の瞑想
近づかせてくれ
東瀛の娘
(四)
夜のとばりに包まれている駅
ひっきりなしに通過している人
バス発車のとどろき
呼ばせてくれ
東瀛の娘
2007年01月19日
小肥羊ジャパン―中国飲食業の対日投資の新しいシンボル
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
1999年に「走出去」戦略を打ち出した中国は、経済の高度成長、総合国力の増強、外貨準備高の大幅増加、資源不足の圧力などによって企業の外国投資が次第に増加し、FDI先進国へ邁進しつつある。中国商務部ウェッブサイトのデータによると、2005年の中国ノンバンク対外投資総額は122.6億ドル、2006年前半が64.4億ドル、2006年前半までの累計対外投資総額は634.4億ドルである。
対外投資全体の中で対日投資は出遅れたが、緩やかな成長を見せ、この2、3年はさらに拡大する兆しがある。2005年末までの中国企業(香港をも含む)の対日投資総額は26.87億ドルで、10年前の1995年までの11倍となった。投資分野は製造業、機械、ソフト、電子、サービスなどに及んでいる。2001年にハイアールが三洋電機との共同出資会社を設立して製品を一挙に秋葉原に進出させたこと、上海電気集団がアキヤマ印刷機器製造を買収して日本との技術的な距離を18年間縮小させたこと、広東三九集団が東亜製薬の買収によって医薬製造と流通分野に参入できたことなどの一連の合併・買収案件以来、2006年前半は、無錫尚徳太陽能電力によるMSK買収、中国飲食業チェーン大手の内蒙古小肥羊餐飲連鎖有限公司(以下小肥羊)が日本のIT企業と提携して株式会社小肥羊(シャオフェイヤン)ジャパン(以下「小肥羊ジャパン」)を設立して東京の飲食業に進出したことが話題となった。前者は中国企業の対日投資額最高の3億ドルを記録し、後者は小肥羊というブランドを利用して中国伝統の火鍋(しゃぶしゃぶ)ブームを巻き起こした。
2006年10月21日、筆者は小肥羊ジャパンの日本側パートナーであるウェブクルーを訪ねた。なぜIT企業が小肥羊と提携して飲食業に進出したのか、その経緯、出資形態、中日双方の市場の魅力、可能性、今後の展望、経営戦略などを聞くためである。小肥羊ジャパン投資事業部ディレクター小野田美香氏、投資事業部マネージャ布目由子氏が対応してくれた。
株式会社ウェブグルーは平成11年10月、愛知県春日井市に設立した資本金1,000万円のIT系企業である。平成16年9月東京証券取引所マザーズに株式上場、平成17年12月第三者割り当て増資の実施により41億3,581億円に増資し、ウェブクルー及び連結子会社7社、関連会社5社から構成されている。
小野田氏によれば、ウェブグルー社はこれまでに飲食業の経験はなく、青山浩社長が上海訪問で小肥羊火鍋を食べ、これなら日本人に受けると考え、中国側に打診した。小肥羊側も米国、カナダ、シンガポール、香港、台湾で支店を開設し、数年前から日本での支店開設を視野に入れていた。1年間の訪問と接触を経て、中国側62.5%、日本側37.5%の共同出資で2,500万円を投下し、東京で第1号店を出店することに合意し、2006年7月20日、株式会社小肥羊ジャパンの登記を行い、2006年9月28日、第1号店が東京渋谷センター街にオープンした。
小肥羊は中国人にも在日華人にも馴染みの深いブランドで、4年連続中国飲食業界ランキング100強企業で第2位になっている。7年前に内モンゴルの包頭(パオトウ)から誕生した小さなしゃぶしゃぶ店は、薬味を使わない特色だけでなく、ラム肉を始め数十種類の極上強壮剤香辛料を用い、「医食同源」の健康・美味・自然の享受を根本にし、「品質を本、信頼を至上、偉業を固め、必勝を千年」という企業精神を受け継ぎ、高品質の飲食・サービス提供を通して、わずかな間で中国における最大の民族飲食集団として内外に名声を馳せた。これまでに「中国知名商標」、「中国餐飲百強ランキング2位」、「中国500強企業」、「中国成長企業百強チャンピオン」、「中国有名しゃぶしゃぶ店」、「中国もっとも影響力のある財富企業」など30余りの表彰称号を獲得。現在は完全子会社3社、支社5社、物流配送センター1社、香港、マカオ、台湾を含む直営・特許経営店700以上、傘下店舗を中国32省、直轄市、自治区に展開する飲食界の最大手グループとなっている。 近年は「走出去」に応じ、米国カリフオニア、カナダ・トロント、香港、シンガポールなど海外の支店を続々設立し、国際化展開している。
小肥羊ジャパンの看板となるラム肉には、良質なたんぱく質、多くの必須アミノ酸、鉱物、ビタミンが含まれている。元気を補い、血の気を良くする温を補う品という「本草目録」の記載があり、肉質が繊細で消化に良く、体の免疫力を高め、「医食」を重視する高齢化社会の日本に歓迎されると判断しての進出である。
筆者は二人の熱心な案内により、渋谷センター街の1号店へ向かった。周りに中国、タイ、ベトナム、インドの料理看板が目に映る中、小肥羊の看板が日本で根をおろす気概を示しているかのようである。
入り口脇にあるモンゴル衣装のマネキンが「草の低さに吹かれて見える牛羊」の詩句を思い出させ、内装も民族情緒が際立っている。140人収容の規模は提携への信頼と未来への自信であろうか。今年末までに日本5号店、数年後には日本全体で200店舗の目標を掲げている(原文は[ERINA REPORT]2007vol.74掲載)。
図:東京渋谷センター街にオープンした小肥羊第一号店様子
1999年に「走出去」戦略を打ち出した中国は、経済の高度成長、総合国力の増強、外貨準備高の大幅増加、資源不足の圧力などによって企業の外国投資が次第に増加し、FDI先進国へ邁進しつつある。中国商務部ウェッブサイトのデータによると、2005年の中国ノンバンク対外投資総額は122.6億ドル、2006年前半が64.4億ドル、2006年前半までの累計対外投資総額は634.4億ドルである。
対外投資全体の中で対日投資は出遅れたが、緩やかな成長を見せ、この2、3年はさらに拡大する兆しがある。2005年末までの中国企業(香港をも含む)の対日投資総額は26.87億ドルで、10年前の1995年までの11倍となった。投資分野は製造業、機械、ソフト、電子、サービスなどに及んでいる。2001年にハイアールが三洋電機との共同出資会社を設立して製品を一挙に秋葉原に進出させたこと、上海電気集団がアキヤマ印刷機器製造を買収して日本との技術的な距離を18年間縮小させたこと、広東三九集団が東亜製薬の買収によって医薬製造と流通分野に参入できたことなどの一連の合併・買収案件以来、2006年前半は、無錫尚徳太陽能電力によるMSK買収、中国飲食業チェーン大手の内蒙古小肥羊餐飲連鎖有限公司(以下小肥羊)が日本のIT企業と提携して株式会社小肥羊(シャオフェイヤン)ジャパン(以下「小肥羊ジャパン」)を設立して東京の飲食業に進出したことが話題となった。前者は中国企業の対日投資額最高の3億ドルを記録し、後者は小肥羊というブランドを利用して中国伝統の火鍋(しゃぶしゃぶ)ブームを巻き起こした。
2006年10月21日、筆者は小肥羊ジャパンの日本側パートナーであるウェブクルーを訪ねた。なぜIT企業が小肥羊と提携して飲食業に進出したのか、その経緯、出資形態、中日双方の市場の魅力、可能性、今後の展望、経営戦略などを聞くためである。小肥羊ジャパン投資事業部ディレクター小野田美香氏、投資事業部マネージャ布目由子氏が対応してくれた。
株式会社ウェブグルーは平成11年10月、愛知県春日井市に設立した資本金1,000万円のIT系企業である。平成16年9月東京証券取引所マザーズに株式上場、平成17年12月第三者割り当て増資の実施により41億3,581億円に増資し、ウェブクルー及び連結子会社7社、関連会社5社から構成されている。
小野田氏によれば、ウェブグルー社はこれまでに飲食業の経験はなく、青山浩社長が上海訪問で小肥羊火鍋を食べ、これなら日本人に受けると考え、中国側に打診した。小肥羊側も米国、カナダ、シンガポール、香港、台湾で支店を開設し、数年前から日本での支店開設を視野に入れていた。1年間の訪問と接触を経て、中国側62.5%、日本側37.5%の共同出資で2,500万円を投下し、東京で第1号店を出店することに合意し、2006年7月20日、株式会社小肥羊ジャパンの登記を行い、2006年9月28日、第1号店が東京渋谷センター街にオープンした。
小肥羊は中国人にも在日華人にも馴染みの深いブランドで、4年連続中国飲食業界ランキング100強企業で第2位になっている。7年前に内モンゴルの包頭(パオトウ)から誕生した小さなしゃぶしゃぶ店は、薬味を使わない特色だけでなく、ラム肉を始め数十種類の極上強壮剤香辛料を用い、「医食同源」の健康・美味・自然の享受を根本にし、「品質を本、信頼を至上、偉業を固め、必勝を千年」という企業精神を受け継ぎ、高品質の飲食・サービス提供を通して、わずかな間で中国における最大の民族飲食集団として内外に名声を馳せた。これまでに「中国知名商標」、「中国餐飲百強ランキング2位」、「中国500強企業」、「中国成長企業百強チャンピオン」、「中国有名しゃぶしゃぶ店」、「中国もっとも影響力のある財富企業」など30余りの表彰称号を獲得。現在は完全子会社3社、支社5社、物流配送センター1社、香港、マカオ、台湾を含む直営・特許経営店700以上、傘下店舗を中国32省、直轄市、自治区に展開する飲食界の最大手グループとなっている。 近年は「走出去」に応じ、米国カリフオニア、カナダ・トロント、香港、シンガポールなど海外の支店を続々設立し、国際化展開している。
小肥羊ジャパンの看板となるラム肉には、良質なたんぱく質、多くの必須アミノ酸、鉱物、ビタミンが含まれている。元気を補い、血の気を良くする温を補う品という「本草目録」の記載があり、肉質が繊細で消化に良く、体の免疫力を高め、「医食」を重視する高齢化社会の日本に歓迎されると判断しての進出である。
筆者は二人の熱心な案内により、渋谷センター街の1号店へ向かった。周りに中国、タイ、ベトナム、インドの料理看板が目に映る中、小肥羊の看板が日本で根をおろす気概を示しているかのようである。
入り口脇にあるモンゴル衣装のマネキンが「草の低さに吹かれて見える牛羊」の詩句を思い出させ、内装も民族情緒が際立っている。140人収容の規模は提携への信頼と未来への自信であろうか。今年末までに日本5号店、数年後には日本全体で200店舗の目標を掲げている(原文は[ERINA REPORT]2007vol.74掲載)。
図:東京渋谷センター街にオープンした小肥羊第一号店様子

2007年01月19日
旧工業基地振興に伴う東北地区の対外開放の現状及び展望
ERINA客員研究員・黒龍江省社会科学院経済研究所研究員 笪 志剛

中国中央政府が東北振興戦略を打ち出してからもう3年あまり経った。その間、東北地区において経済の快速成長、対外貿易の大幅増加、外資誘致の記録更新などの新局面を迎えてきた。同時に、東北振興をさらに加速させるために中央政府はこの3年間、「東北地区等旧工業基地振興戦略の実施に関する若干の意見」(国務院11号文献)、「東北旧工業基地を促進するにあたり対外開放を一層拡大する若干の実施意見」(国務院36号文献)を含めた優遇政策を続々と打ち出した。それによって旧工業基地振興を背景とする東北地区の対外開放は新たな発展の勢いが現れ、東北地区は珠江デルタ、揚子江デルタ、環渤海地区に次ぐ第四の増長極としての議論もますます活発化かつ現実化してきた。本稿は上述の旧工業基地振興策の実施及び関連の開放深化政策の提出による該当地区における経済発展、対外貿易、外資誘致、対外投資などの最新状況、新たな変化及び問題点をめぐり、東北地区における改革開放と経済発展のポテンシャルないし周辺国及び地区との協力の新たな態勢を探る。
1. 東北振興戦略と更なる対外開放
2003年、国民経済全体の協調発展と中国工業体系の質を高めるため、同時に東北地区の持続的発展と社会的安定を維持して北東アジア地域協力に参加するために、中国中央政府は「中共中央・国務院の東北地区等旧工業基地振興戦略の実施に関する若干の意見」(国務院11号文献)を打ち出し、東北振興戦略が正式にスタートした。「意見」は東北地区の全面的な持続可能発展のためにマクロ優遇政策の決定と関連の資金援助を行い、同年11月に批准された調整と改造項目は100余、総額610億元、同時に行政窓口として国務院東北地区等老工業基地調整改造指導小組弁公室を成立した。また、増値税と企業所得税の改革、国債と特定資金項目の確定などの実施によって、東北振興は「全面対外開放」、「地域経済一体化」、「人材戦略」という三大戦略を象徴とする全面始動段階に入りつつある。2004年、2005年の実質的な作業と各種項目の確実な策定という段階を経て、2006年に入ってから東北旧工業基地振興戦略の効果が現われ始めた。特に、中央政府が東北地区の発展実情に基づいて2005年8月に「東北旧工業基地を促進するにあたり対外開放を一層拡大する若干の実施意見」(国務院36号文献)を策定し、対外開放を旧工業基地改造実現の重要手段と内容に位置付け、「開放で改革を促進し」、「外資誘致の質とレベルを高め」、「地縁のメリットを発揮し」、「雇用を優先する」という四つの面から対外開放を東北振興と結びつけた。また、科学発展観と人本主義に基づいて、「第十一次五カ年規画」で東北旧工業基地に関して実際に相応しい企画を策定し、東北地区の対外開放は新たに歴史的なチャンスを迎えている。
(1)東北地区対外開放の新しい特色
①工業を主体とする全面振興
全体的に見れば、東北の現代工業開発の歴史は1世紀ほどさかのぼり、民族工業の発端、半植民地と植民地の工業開発を経て、真の工業基地を形成したのは建国後の「第一次五カ年計画」と「第二次五カ年計画」時期だった。計画経済時代において、東北は全国経済の牽引役であったが、「東北現象」などが東北の発展に問題を積み重ねてきた。それに対して中央政府は「第七次五カ年計画」と「第八次五カ年計画」時期に前後して、「企業の三角債務の解決」、「現代的な企業制度の建立」、「国有企業の三年間難関挑戦」、「社会保障制度の構築」などの優遇政策を打ち出してバックアップしたが、単一的な政策で、組み合わせと協調性を欠けたため、効果が上がらなかった。今度の振興策は前例の教訓を受け、鉄道、高速道路、港湾などインフラ整備を強化する上に、総合協調的な政策体系により工業化を主体として農業及び第三次産業にまで波及する全面振興である。
②東北振興で全国安定を図る戦略
冷戦時代において、東北地区は中国国防の東と北の玄関で、国家軍事安全の戦略的な緩衝地帯であり、代替のできない国境が存在した。2003年に端を発した今度の旧工業基地の振興策は経済の持続発展を視野に入れ、「東北が衰微すれば全国は危うくなり、東北が振興すれば全国は安定する」という戦略的な見地から、東北地区の新型工業化及び振興を全面的なゆとりある社会建設と調和の取れた社会構築に結びつけ、東北振興に新たな地域発展という時代の要請があった。言い換えれば、以前の何回の中央からのバックアップと違い、今度の振興の成否は中国経済社会発展の全面振興と地域均衡の達成に繋がる戦略的な選択とも言える。
③対外開放と工業振興の結合
開放で改革・調整・改造・振興を促すという指導方針を堅持し、開放を拡大することを推し進め、東北経済の外向性を高め、体制・機構・企業の改革を促すために、国務院東北振興弁公室が中央の関連委託を受けて東北振興戦略の第一弾を打ち出してから、東北戦略の実施実情に基づいて対外開放の四つの重点を提出した。すなわち、1)開放で改革を促すこと。外国人投資家による東北国有企業の組織変換と改造への参入、外資による国有企業へのM&A及び株式所有を奨励する。どうしても返済できない歴史的な原因による税金債務は規定により国務院の批准で免除される。2)外資利用の質とレベルを高めること。3)地理的優勢を発揮して地域経済の健康的な発展を促すこと。4)雇用を優先的な目標として考えること-である。このような措置によって、対外開放と東北工業振興は統一的に配置されたと言える。
(2)東北地区の周辺国際環境の変化
中央政府が2003年の中国共産党16回代表大会の報告で初めて旧工業基地振興戦略を提出してから2006年9月まで、調整と改造の推進、対外開放の深化によって、東北地区が臨まれた周辺国際環境は大きな変化を呈した。まず、中国の綜合国力が著しく増強したことである。GDPはすでに世界四位に昇り、貿易総額も日本を抜き米国とEUに次いでトップ三位に入り、一人あたりGDPが1780ドルで、外貨準備高がもう一兆ドル超で、中国が世界への影響力も次第に高まる。関連データによると、2005年中国経済の世界経済成長への貢献率は29%、貿易成長への貢献率は21%で、2006年はさらに拡大する見通しである。中国経済はすでに経済大国日本を含む景気を牽引する重要動力となり、「中国内需」と言われている。北東アジア地域にある日本、韓国の経済は持続回復中で、特に日本は戦後最長期であった「いざなぎ景気」を超えた成長が続けている。エネルギー価格高騰の牽引でロシアの外貨準備高が大幅増加し、経済も従って8年連続の好調が続いている。モンゴルも北東アジア経済提携の潮流に溶け込み、周辺国との鉱産物を始めの合作が増強している。北朝鮮問題は未解決のままだが中朝、韓朝貿易が拡大している趨勢は余り変わらない。北東アジア地域貿易・投資は世界貿易と投資全体の好調と安定によって記録更新の可能性が強い。国際分業及び中国の分業地位のアップによって中国の「世界工場」の地位がさらに固めていく。消費品の加工、組み立て、輸出が外資に伝統とハイテク関連の技術の中国移転を加速させる。これらは東北地区の更なる開放、北東アジア国際貿易及び投資に溶け込ませる何よりの駆動力であると考えられる。
(3)東北地区の面する国内競争環境
一方、東北地区が直面する国内環境もますます厳しくなりつつある。中央政府が「東北旧工業基地を促進するにあたり対外開放を一層拡大する若干の実施意見」(国務院36号文献)など旧工業基地振興関連の優遇政策を続々打ち出し、東北の対外開放に多方面の政策保障と発展の機会を提供する同時に、早期開放によってすでに豊かになった珠江デルタ、揚子江デルタ、京津翼(北京市・天津市・河北省)環渤海経済地帯の所謂三大経済圏の中国経済への影響力が次第に目立ってきた。特に江浙の民営資本を中心とする内資北上の勢いが注目され、「新東北人」という新集団が登場し始めた。彼らの参入によって東北振興が加速する一方、競争も一層激化することに違いない。また、経済規模では三大経済圏に匹敵しえない東北地区は劣勢に追い込まれる可能性がある。2004年の統計によると、三大経済圏は輸出入額で中国全体の76.6%、外資利用で88.5%を占めた。2006年6月、中央政府が中国北部の経済中心と開放門戸を象徴する「天津濱海新区開発開放戦略」を打ち出したことは、環渤海経済圏を加速させ、北京を輻射し華北を牽引する意図が明らかである。東北地区は貿易・投資・服務・資本・人材などの面において機会に恵まれる同時に、地域競争の激しい南方各省の豊かな資本の挑戦を受けざるを得ないだけでなく、環渤海経済地帯の拡大に吸収され、或いは疎外化に押しやられる可能性もないとは言えない。また、2001年末の中国WTO加盟の受諾によって、2005年から中国はサービス業の更なる開放と新規参入許可の緩和を実施しなければならなくなった。第三次産業が普遍的に弱い東北地区にとってはリスクが優勢を下回るとはいえなくなった。そのほか、経済や生活レベルの格差による人材戦略・競争で、北部の人材が南方へ移動する“燕南飛”(南方の省へ就職すること)現象に歯止めがかからない状況にある。東北地区の人材優勢が南方の豊かな省からの争奪戦によって弱まっていく可能性が大きい。
2. 東北の優位性と対外開放現状
東北地区 は北東アジアの中心に位置し、東、北、西においてそれぞれ北朝鮮、ロシア、モンゴルと隣接する。日本海を隔てて日本と韓国を臨み、南は渤海湾を介して首都圏と華北と連なる。当該地域は主に遼寧省、吉林省、黒龍江省を含み、総面積が78.9万平方キロメートル、人口が10,757万で、それぞれ全国の8.2%と8.22%を占める。東北三省の地理的な優勢は顕著で、遼寧省は東北、華北、華東という三大経済地帯の結合部に位置し、北東アジア経済圏の中核的な存在である。また、東北重工業地帯と環渤海経済圏の交錯点にあり、当該地域の最初に開放された優勢を加え、東北開放の門戸と言える。吉林省は東北地区の中部に位置し、陸地的に北朝鮮、ロシア、モンゴルに隣接し、交通が便利で、インフラ整備も良好であり、周辺への輻射能力が強い。黒龍江省は対ロシア国境が3,000キロに及び、25の国家一級税関を持っている。日韓両国との江海連運の便宜だけでなく、シベリア鉄道へ繋がる優位性もある(表1)。
国内ないし北東アジアにおける地理的な優位性はもちろんのこと、資源面の優勢も目立っている。東北地区は資源が豊富で、開発の歴史が短いというメリットがある。統計によると、現在、東北地区の原油産量が全国の40%、木材が50%、汽車生産量の四分の一を占めてある。該当地域の重工業と農業が発達し、建国して以来前世紀の80年代までに、経済成長は同期全国平均レベルをずっと上回って、中国の重要鉄鋼、化学工業、エネルギー、機械、林業及び食料の基地である。三省の綜合科学技術レベルはそれぞれ全国の六位(遼寧省)、十二位(吉林省)、十三位(黒龍江省)であった。上述の資源及び綜合工業体系は東北地区振興及び勢い良く立ち上がりの基礎である。同時に、該当地域は中国が北東アジア国際合作へ参入する拠点で、北東アジアと欧州を繋ぐ重要な輸送ルートと窓口である。東北地区の対外開放と経済の順調発展ができるかどうかは中国経済全体の持続発展、資源安全、地域バランスに関わって、重工業と化学工業を土台とする現代化の実現にも代替のできない役割を持っていると言える。東北振興促進策と更なる対外開放の打ち出し、また「五点一線開放戦略」、「哈大斉工業ベルト開発戦略」、「東北アジア経済貿易博覧会」など各省の独自の戦略によって、東北地区の地縁優勢、資源メリット及びポテンシャルが次第に現われると待望できる。

(1)優位性の特徴と経済発展
東北地区は資源が豊かで、環境に優れ、都市が集中し、交通が発達し、知的な資源が多いという優位性を持っている。長年にわたり、全国の重要な工業・農業基地、対外貿易の基地、科学研究教育の基地である。北東アジアの中心に位置する戦略的・地理的な優位性を除いて考えれば、その経済発展の基礎はほとんど「第一次五カ年計画」とそれ以後の長い間の計画経済と密接な関係を持っている。すなわち、長期的な計画経済の影響で、東北地区は農業の栽培業、工業の重化学工業を特徴とする地域経済構造を形成した。このような工業基地が集まる産業構造は計画経済時代の一時的な輝きを浴びた後、改革開放の初期と中期で開放に見捨てられた出遅れと「東北現象」の衝撃を受けた。1978年の改革開放によって東北地区の経済はある程度発展したが、東南沿海各省との距離が大きくなったと言える。体制的、制度的、構造的な計画経済の後遺症が次第に現われ、旧工業基地も市場経済の壁にぶつかり次第にその優勢を失い、効率の低下、企業の生産停止、レイオフ、一時休職、資源の枯渇、環境悪化などに象徴される「東北現象」と、農業の効率低下、収入増の停滞、農村発展の疲弊などを代表する「新東北現象」が東北地区を覆った。地区全体経済も一時マイナス成長に陥り、中国経済転換期の負の代表地域となった。
1984年、中国政府による大連を含む14の沿海地域都市の開放に従って、東北地区も閉鎖的な計画経済の束縛から開放的な経済への転換を模索し始めた。1988年、遼東半島の開放、沈大高速道路の開通によって周辺2,000万人の開放商業圏が形成された。1992年の鄧小平氏の「南巡講話」によって琿春、綏芬河、黒河が相次ぎ開放された。東北地区は当初は大連がリードし、省都都市を拠点として辺境税関都市を控えた全面開放局面を形成する地区経済構成も生まれた。この2~3年、東北振興策と全面開放に関する好材料の影響で外資・内資とも北上の趨勢を形成し、渤海湾の海洋出口やロシア・北朝鮮への陸上隣接優勢を利用した北東アジア諸国との貿易・投資などの対外発展と更なる開放の起爆剤となっている。GDPの増加もその現われの一つである。2005年、東北地区のGDP総額は17,140.7億元で、同期中国全体183,084.8億元の9.4%を占め、1980年代後期の隆盛期の13.3%より後退したが、質の改善、開放の効果が充分あると考えられる(表2)。

(2)東北地区対外貿易現状
東北地区の対外貿易は国家物資調達の指令貿易と沿海、国境開放から始まった。改革開放の深化によって、東北地区と国際間の経済往来も多くなり、貿易額も次第に増加しつつある。1978年、東北地区の輸出入総額は僅か16.77億ドルで、その内、輸出が15.94億ドル、輸入が0.83億ドル、輸出の大半も原油と製品油で、標準に達する地方商品はほとんどなかった。1987年の輸出入総額は58.19億ドルで、その内、輸出が50.68億ドル、輸入が7.52億ドルで、輸出と輸入はそれぞれ1978年の3.18倍と9.1倍であった。2004年の東北地区の輸出入総額は479.9億ドルとなり、その内、輸出が243.1億ドル、輸入が236.8億ドルで、それぞれ1987年の4.8倍と31.5倍であった。2005年の輸出入総額は継続拡大し、571.11億ドルとなった(表3)。
一連の数字変化を見ると、東北地区の対外貿易ウェイトは山西など西部各省と一部中部省より高いが、東南沿海各省と比べまだ低い。貿易パートナーを見ると、東北地区はすでに世界160余りの国や地域と貿易関係を結んだが、大部分が香港、日本、韓国、米国、台湾などの国や地区と取引されている。三省の間にも貿易総額の差異、輸出入のアンバランス現象がある(表4-1、4-2)。
(3)東北地区外資誘致現状
東北地区の外資利用と技術導入は改革開放初期の1979年からスタートし、当時はプロジェクトの導入、補償貿易、輸入品の組み立てを中心にして、次第に技術の合作、セットプラント輸入、重要設備の輸入に転換した。外資利用も当初の外資からの借款から外資との提携へ次第に転換したのである。
1979年から1987年にかけて、東北地区の外資利用は1,116件で、契約ベースで24.5億ドル、実行ベースで8.53億ドルであった。1990年代以後、中国全体の投資環境の改善やインフラ整備、関連法律の完備によって、合弁と合作を主な形態とする外資の進出は独資へと変わり、大量進出のきっかけともなった。東北地区の対外貿易が主に日本、韓国、米国、ロシアなどに集中していると同様に、同諸国からの直接投資も東北外資利用の重要な柱となっている。例を挙げると、日本は遼寧省の第一の貿易パートナーと第二の投資国である。遼寧省に進出した日系企業の生産総額は320億元で、地元に14万件の雇用機会を創造した。日本の著名企業のほとんどがさまざまな形態で大連に進出している。同時に、日本は吉林省の第一の輸出相手国と第二の輸入相手国であり、外資利用の重要投資国である。日本は黒龍江省の第二の輸出相手国で、第五の投資国である。2005年、東北地区における実行ベースでの外資利用総額は46.82億ドルで、2005年末までに東北地区外資利用累計総額は425.93億ドル、全国の6.7%を占めた。三省の中で外資利用が最も多いのは遼寧省である。
2005年、遼寧省の外資利用総額は35.9億ドル、前年比172.7%と大幅に増加した。その内、1,000万ドル以上投入の項目は357件で、契約ベース総額が77.16億ドルである。分野別に見ると、製造業、不動産、情報通信などが多く、全体の85.2%を占めている。2005年末までに遼寧省の外資利用累計総額は382.3億ドル、東北地区外資誘致総額の79.3%を占め、遼寧省は当該地域の中枢省として重要な地位と早期開放された成果を表した(表5)。
黒龍江省の外資利用は香港、韓国、米国からのウェイトが高い。1998年から2004年にかけての累計外資利用で見ると、この三国の投資割合はそれぞれ37.41%、10.53%、9.21%で合計57.15%である。2005年、黒龍江省の外資利用は4.31億ドルで、前年比10.47%増であり、新規外国投資企業を266件認可し、投資国は香港、韓国、米国の次にヴァージン諸島、日本、ロシアであった。
1997年から2004年にかけて、吉林省の外資投資分野は主に交通運輸設備製造業、電気・ディーゼル及び水処理、食品製造業であり、特に自動車産業への投資と輸入は吉林省における旧工業基地の資源と産業優勢を反映している。2005年、吉林省の外資利用総額は6.6億ドルで、前年比46.1%増であった。新規外国企業を348件認可し、投資国は24の国と地区に達し、その内、1,000万ドルの投資国と地区は9に達した。ドイツ、米国、香港、韓国、ヴァージン諸島、日本の順であった。
(4)東北地区対外投資現状
早期開放に恵まれた東南沿海各省及び京津沪(北京・天津・上海)と比べて、特に中国対外投資総額の10分の1を占める上海と比べて、東北地区の対外投資の初動は遅れた。国家の「走出去」戦略及び奨励政策を打ち出した1999年までに、それらしい対外投資はほとんどなかった。近年、東北振興戦略の深化、東北地区対外開放のレベルアップによって、当該地域の経済は高度成長が続き、対外投資も出始めた。発達している他省のコスト削減と技術獲得のための対外投資と比べ、東北地区の対外投資は資源の獲得を狙っており、投資の大半は周辺にある発展途上国或いは資源の豊かな国・地域に集中している(表6)。
2000年に入ると、東北地区の対外投資は年々増加の趨勢を呈し、遼寧省がその趨勢をリードしているが、黒龍江省の対外投資も著しく増加し、2005年の投資額は遼寧省を大幅に超える記録的な年となった。2005年の東北地区の対外投資を見ると、投資件数では遼寧省が多く、他の2省の合計を上回る48件であったが、金額は9,316万ドルで、黒龍江省の2.37億ドルに及ばなかった。2005年の遼寧省の対外投資先は主に米国、香港、ロシア、日本、韓国、北朝鮮及びモンゴルで、技術特許、国際販路、資源確保の意図が目立っている。
吉林省の対外投資は主にロシア、北朝鮮、アフリカ、バングラデシュなどに集中し、先進国への投資はフランスと香港、マカオに集まっている。2005年の対外投資件数は23件で、中国側の直接投資額は3,340万ドルであった。近年の代表的な対外投資事例としては、ロシアの不動産、木材、運輸業への金龍有限責任公司、吉林新元木業株式有限公司、吉林盛銘実業有限公司、吉林宇別爾運輸集団公司などが有名である。そのほか、北朝鮮も吉林省の主要投資先である。
黒龍江省の対外投資は主にロシア、モンゴル、ボツワナ、香港、米国などに集中している。1998年から2005年にかけての累計海外投資額は7.2億ドルで、海外設立企業数が231社、投資先が39カ国であった。中でも、対ロシア投資は黒龍江省の重点とも言える。2005年末までにロシアに進出している黒龍江省の企業数は110社で、契約ベース投資額が2.7億ドル、実行ベースでも2億ドル以上と推計でき、全体の27.8%を占めている。特にエネルギー、鉱産物開発、木材加工などの規模が大きい。代表的な投資は、黒龍江省龍興国際資源開発集団有限公司の鉱産物中心の開発、黒龍江振戌・斯達実業有限公司の木材パルプ開発などである。対ロシア以外に、黒龍江華福実業有限公司がモンゴルで創設するモンゴルチュウバオン実業有限公司、黒龍江省国際公司が北京首都鉱業有限公司と提携して創設する図木爾泰鉄鉱石有限公司など、黒龍江省の製造業を支える資源の確保のための対外投資形態が注目される。

3. 東北振興の推進と対外開放展望
東北振興戦略の提出は、旧工業基地の資源枯渇による転換・構造調整を進める一方、最も重要なことは、調整と改造によって国家政策の効果、及び東北地区の持っている産業、資源、科学技術、労働力及び地理的優勢を発揮させ、科学発展観を樹立し、旧工業基地の開放レベルを高めることである。世界は経済のブロック化、地域化、国際経済一体化の趨勢にあり、対外開放は開放型経済の発展を促進し、産業構造を高め、国内外の資源を合理的に配置し、企業の外向化レベルを高め、国際競争力を増強させる鍵である。東北振興は単に資金を動員して投資環境を改善し、設備を更新させることにとどまらず、工業を主導とする社会全般にわたる大きな変革である。その変革の動力は対外開放であり、それによって国外の資金と優れた技術、人材、管理経験を導入し、社会全体の開放を引き出す。今度の東北振興にとっては対外開放が根本であり、国策である。経済成長の方式の転換、対外貿易増長パターンの変更、外資誘致の増強、実力のある企業の対外投資などはいずれも東北振興、特に対外開放に頼るものである。これは国家が東北振興を断固として実行する真意でもある。
現在、東北アジア地域協力、特に辺境地域の合作を強化する環日本海の地方自治体による会議が各種開催され、図們江地域開発をめぐって中・ロ・朝が前向きの姿勢を示し、東寧からウスリースクへの鉄道・航運建設も着実に進んでいる。「辺境経済合作区」、「中ロ互市貿易区」、「輸出加工区」のいわゆる三区優遇政策の国家レベル税関である琿春とロシア・ハサン、北朝鮮・羅津、清津の間に展開する国境を跨る開発区の建設は、吉林省の海とつながる夢が実現しようという段階を迎える。東北東部を貫き遼寧省・丹東まで通じる新規鉄道計画は東北辺境地帯の貿易を周辺諸国へ拡大させ、新たな物流輸送ルートが生まれる。黒龍江省は中央政府から人民元の境外投資金融試験的工作の優遇を得た上に「内引外連」すなわち国内・国外の二つの市場を利用する優勢によって、さらに内外の企業家を集め、東北地区における全体的な対外開放の潜在力が顕在化しつつある。

(1)東北振興と対外貿易レベルの向上
東北地区の2006年1~11月の工業統計と1~9月及び1~11月の対外貿易統計を見ると、東北旧工業基地関連項目の実施及び第十一次五カ年規画スタートの波に乗って、対外開放が牽引する三省の経済は安定且つ高成長を呈している。1~11月、三省の経済規模は継続拡大し成長も加速している。その内、遼寧省の一定規模工業企業の工業増加額は3,559.81億元、前年同期比19.2%増であった。吉林省の一定規模工業企業の工業増加額は1,278億元、前年同期比18.6%増で、平均毎月16.8億元の利益を上げた。黒龍江省の一定規模工業企業の工業増加値は2,352.1億元、前年同期比15.1%増であった。
工業の好調は対外貿易の好況を促し、2006年1~3月、東北地区輸出入総額は140億ドルで、それぞれ前年同期比7.9%(遼寧)、7.9%(吉林)、37.4%(黒龍江省)増を遂げた。2006年1~11月では、東北三省は625.6億ドルの輸出入を達成し、同期中国全体の3.9%を占めた(表7)。この間、遼寧省の輸出入総額は434.1億ドルで、前年同期比16.8増であった。その内、輸出が253.9億ドル、輸入が180.2億ドルで、それぞれ20.3%、12.3%増を記録した。国有企業の輸出額70.5億ドルに対して私営企業の輸出額が38.4億ドル、39.4%増で目立っている。日本、韓国、米国への輸出は130億ドルで、全体の51.5%を占めた。省の主要都市である大連の輸出額は156億ドルで、全体の61.4%を占めた。
2006年1~9月、吉林省は輸出入額58.74億ドル、前年同期比21.6%増であった。その内、輸出は20.31億ドルで前年同期比7.3%増、輸入が38.43億ドルで30.9%増であった。吉林省の輸入が輸出を上回る原因は自動車部品の継続増加にある。1~9月、自動車関連部品の輸入額は10.9億ドルで、吉林省の輸入全体の28.4%を占め、吉林省の自動車産業が全体経済を牽引する役割が明らかである。
2006年1~3月、黒龍江省の輸出入総額は25.8億ドルで史上最高を記録し、同期増加幅は全国トップであった。1~11月、黒龍江省の対外貿易はさらに拡大して118.2億ドルを完成し、初めて100億ドルの大台を超え、中国11番目の対外貿易100億ドル超の省となった。その内、対ロシア貿易が60.92億ドルと全体の51.6%を占める。綏芬河、東寧、黒河などの市と県の財政収入の80%以上が対ロシア貿易に依存している。その他、自動車と機械・電気製品の輸出が全体の増加を支えている。

(2)対外開放と外資誘致の質の向上
中国中央政府は東北の重工業化を重視し、開発によって当該地域の国有企業を活性化させ、資源の合理的な開発を図っている。そのために打ち出した一連の優遇政策は、外資の東北進出により良い条件を与えている。2006年に入ると、旧工業基地改造項目の実施と新五カ年規画の発足などの好材料により、東北地区の外資誘致状況は著しく変化し、新たな局面を迎えている。三省は大プロジェクトと戦略的投資者の誘致を突破口として、外資利用の規模と質を高めることに力を入れている。現存の工業パークと開発区によって外資誘致の拡大を狙う一方、東北地区、特に各省の特色と基幹産業に着目し、それぞれ自らの省にふさわしい外資誘致の新戦略を打ち出した(表8)。
遼寧省は、2008年北京オリンピックと2010年上海万国博覧会の前哨と言われる「世界園芸博覧会」(2006年5~10月、瀋陽)を積極的に利用して、半年の開催期間で1,000万人の入場者を実現し、観光による外資誘致への波及効果を果たした。また、国務院の支持を得て「五点一線」という最新の沿海開放戦略を発表した。これは、揚子江以北最大の島である大連長興島を中核として、渤海湾沿岸の営口、錦州湾の葫芦島、丹東、庄河花園口を連ね一線となる。この戦略の発表は欧米、日本などの投資者の目を引き寄せ、遼寧省の外資誘致の新たな目玉となっている。また、「遼寧省人民政府が沿海重点発展地域をさらに開放拡大させることに関する若干意見」という省レベルの奨励策を出し、外向発展と沿海・内地の相互促進に関連する5方面・12項目の具体的な優遇政策を発表した。それらによって、この1年足らずの間に、「五点一線」地域ではすでに外国投資企業18件を認可し、契約ベースで1.9億ドル、商談中の項目は186件に上った。2006年1~11月、遼寧省は新規外国投資企業を2,021件認可し、外資誘致総額は50.24億ドル、前年同期比111.84%増であった。
吉林省は海への出口が無い不利な現実の中で意欲的にロシア、北朝鮮と協商し、日本と韓国の資金及び技術を利用し、図們江地域開発のメリットをアピールしている。図們江周辺はすでに日本・韓国投資家の対象地区となり、小島衣料を始め外資の進入が加速している。また吉林省は一年に一度の「東北アジア経済貿易博覧会」を利用して、外資誘致に最大限の力を入れている。2006年1~11月、吉林省の外資誘致の実行ベース総額は14.5億ドルで、前年同期比42%増であった。契約ベースの項目の中には1,000万ドル超の大項目が36件で、前年のほぼ2倍となった。自動車、トウモロコシ加工などの伝統的な投資分野のほか、エネルギー、新型材料生産、不動産、医薬への外資進入が注目される。
黒龍江省は多方面の資本を誘致し、国有企業改造などへ参入させている。中央政府による旧工業基地への優遇を活用して、各種投資家が原則的に負債を切り離し純資産だけを買収できる規定を発表した。これは、2004年11月に黒龍江省が提出した「哈大斉工業回廊」という省レベルの総合開発戦略と合わせ、黒龍江省の外資誘致の目玉となっている。2006年1~3月、黒龍江省の実際外資利用は2.24億ドルで、同期比18.5%増であった。黒龍江省への投資上位5国は香港、ヴァージン諸島、オランダ、米国、バルバドスである。

(3)東北振興及びさらなる開放における問題点
東北地区は改革開放の千載一遇のプラス期を迎えているが、マイナス要因も幾つか残っていると考えられる。まず、東北地区は北東アジアの中心に位置し、発展の潜在力を持っているが、当該地域の周辺に存在する非調和要因も無視できない。特に遼寧と吉林省が北朝鮮と隣接しており、朝鮮半島の不安定による東北振興、特にさらなる開放策の実施にマイナス影響が避けられない。
また、当該地域の冷戦後遺症として二国間或いは多国間に残っている歴史認識の相違と領土問題、経済合作とエネルギー争奪の関係、経済利益と文化差異の関係などは、北東アジア経済一体化の妨げになり、東北地区のさらなる開放への障害とも言える。
GDPから見ると確かに著しく成長してきたが、南方の発達地域と比べてまだ一定の距離がある。2000年以後の東北地区の平均GDP成長率11.9%に対して、同期の中国平均は13%、沿海地域はさらに高く16.4%に上る地域もある。東北振興は束の間の機会であり、いかに振興を持続することができるか疑問もある。また、対外開放の外向化レベルで見ると、東北地区は、ますます一体化を強める他の地域と相当の距離があることは否めない。2005年の東北地区の輸出入総額は571億ドルを完成したが、珠江デルタは4,280億ドル、揚子江デルタは5,217億ドルであった。環渤海経済地帯も東北地区を大幅上回ると推定できる。
意識の開放改革も行わなければならない。改革・開放以来の東北地区の発展を見ると、著しい変化・業績と同時に、観念的な面での更新は南方諸省と比べられないところがある。例えば、グローバル経済と地域経済の一体化時代において、一個の省の力で各種産業が揃った産業構造を形成することは難しく、複雑な国際競争に充分に対応できない。三省各自の優勢を発揮させる同時に、大きく東北地区という観念を樹立することが必要である。東北にとって最大の優勢は、提携による発展の道を選ぶことであり、地域産業配置と経済一体化の選択である。それを実現するため、五カ年計画、十年計画を策定するときには、当該地域の総合的産業配置と資源および加工の協調優勢を確立しなければならない。東北経済区の早期形成は、三省優勢を最大限発揮し、将来の北東アジア経済圏の国際競争に対応する最も良い方式でもある。同時に、振興と対外開放、資源の合理的利用と開発、外資の投資コスト削除などもキーワードである。
外資誘致において、適当なビジネスパートナーが見つからないことがしばしば問題となる。保守的な観念、国有企業の比重の高さ、企業所有制の不明確、買収負担の重さなどに面して、外資がまず考えるのは投資のコストと回収の問題である。この点から、東北地区の外資誘致は国有企業を改造する同時に、川上と川下の民営企業を育成することが肝心である。66,000余りの会員を擁する韓国貿易センターは2006年8月に専門の調査報告書を出し、韓国企業の東北進出に警告を発した。報告は、東北地区の中核都市の未成熟、不十分な地域ネット、競争意識に欠け、企業の成長環境に劣り、技術革新能力が低いことなどを指摘し、東北地区が珠江デルタ、揚子江デルタ、環渤海地域のような第四の成長極になることは疑問であり、時間がかかるという結論を出した。この報告は韓国企業の東北地区への進出を阻止するものではないが、東北地区の外資誘致上克服しなければならない側面を警鐘して参考になる。
また、瀋陽、大連、ハルビン、長春など東北地区の中核都市とアジア主要都市との投資コストを比較すると、東北地区の振興深化とさらなる開放により、賃金など各種コストが上がる傾向が出始め、外資進出の障害の一つとなる。この2、3年の外資の動きを見ると、賃金など投資コストの上昇によって、より安いベトナム、フィリピンなどへ外資が移転する動きが出始めた。これは東北振興、東北地区外資誘致にとって新しいマイナス要因である。
最後に、2007年に入ると環境問題と省エネ対策が中国全体として臨まなければならない問題となり、東北地区は中国最初の工業基地としての過去の優勢と裏腹な設備の老朽化とエネルギーの非効率に挑戦しなければならない。東北振興及びさらなる開放の実施過程で、外資誘致によって企業、特に国有企業の技術的な改造とレベルアップを促進できるか、いかにして環境改善と省エネを実現するかが重要な課題である(原文は[ERINA REPORT]2007vol.74掲載)。
注:フォーマット制限のため、文中の表データなどは略された。
参考文献:
「中国商務年鑑」1999年~2006年
「中国統計年鑑」1999年~2006年
「遼寧省統計年鑑」2006年
「吉林省統計年鑑」2006年
「黒龍江省統計年鑑」2006年
中華人民共和国商務部ウェッブサイト
中華人民共和国統計局ウェッブサイト
東北三省人民政府商務庁ウェッブサイト
衣保中等「中国東北地域経済」(吉林大学出版社)
陳才等「東北老工業基地新型工業化之路」(東北師範大学出版社)
2007年01月18日
信濃川漫歩 新潟に魅入られ
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
新潟を訪れたことは何度かあったが、3月下旬から客員研究員として半年間を新潟で過ごすこととなったお陰で、初めて新潟の桜を見ることができた。これまでに体験した東京や京都でのうららかな花見と違って、新潟の花見は少し肌寒かった。
朱鷺メッセから千歳大橋へ、抱き合い座るカップルや、桜の木を囲んで飲みながらおしゃべりに興じる人々、シャッターを押す外国人などを見ながら歩いた。ふと、「信濃川慕情」の歌碑(=写真=)の前で足が止まった。
「町に流れる長い川」…歌碑をながめ、詩の哀愁を味わった。300年にわたる徳川幕府の財政を支え、繁栄した新潟。この「母の河」に抱かれ、良い水や米に恵まれた豊かな大地とその義理人情の厚い土地で、良寛名僧、山本五十六海軍大将、田中角栄総理大臣、羽黒山横綱を生み出した新潟。風に煽られながらも咲き誇る桜を通して、都会の喧騒的な雰囲気とは異なり、素朴だが力強い新潟が好きになった。
新潟を知るにはまだ早いが、花を見ながらやすらぎ堤を漫歩し、この地に心が引き寄せられるのを感じた。中国からやってきてまだ1ヶ月。それでも、この新潟の街が不思議と気に入っている(原文は
新潟日報エリナレター2006年5月17日掲載)。
信濃川慕情の歌碑
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
新潟を訪れたことは何度かあったが、3月下旬から客員研究員として半年間を新潟で過ごすこととなったお陰で、初めて新潟の桜を見ることができた。これまでに体験した東京や京都でのうららかな花見と違って、新潟の花見は少し肌寒かった。
朱鷺メッセから千歳大橋へ、抱き合い座るカップルや、桜の木を囲んで飲みながらおしゃべりに興じる人々、シャッターを押す外国人などを見ながら歩いた。ふと、「信濃川慕情」の歌碑(=写真=)の前で足が止まった。
「町に流れる長い川」…歌碑をながめ、詩の哀愁を味わった。300年にわたる徳川幕府の財政を支え、繁栄した新潟。この「母の河」に抱かれ、良い水や米に恵まれた豊かな大地とその義理人情の厚い土地で、良寛名僧、山本五十六海軍大将、田中角栄総理大臣、羽黒山横綱を生み出した新潟。風に煽られながらも咲き誇る桜を通して、都会の喧騒的な雰囲気とは異なり、素朴だが力強い新潟が好きになった。
新潟を知るにはまだ早いが、花を見ながらやすらぎ堤を漫歩し、この地に心が引き寄せられるのを感じた。中国からやってきてまだ1ヶ月。それでも、この新潟の街が不思議と気に入っている(原文は
新潟日報エリナレター2006年5月17日掲載)。
信濃川慕情の歌碑

2007年01月18日
中国企業の対日投資と日本の地方都市の取組みに関する考察
ERINA客員研究員・黒龍江省社会科学院経済研究所研究員 笪 志剛
はじめに
21世紀に入って以来、中日両国の経済関係は新しい段階に入り、相互依存を強めながら発展している。中日双方の貿易額は2002年に1,000億ドルを突破して以来、2003年、2004年、2005年にはそれぞれ1,335億、1,680億、1,894億ドルに達し、2006年は2,000億ドル以上に達すると見込まれる。
一方、日本からの対中直接投資は2005年までに実行ベースで累計533.76億ドルに達し、2万社余の企業が中国に進出した。中国に長期滞在しているビジネスマンなどの日本人は7.4万人という公式統計があるが、実際はそれを大幅に上回る10万人以上であると推定される。日本との経済・貿易関係の緊密化によって、在日中国人も増加しており、60万人に達している。中国国内においては経済の高度成長に加え、大型国有企業は株式化への構造改革を進め、また、民営企業というニューカマーも著しく成長してきた。
各種の非公有制経済のウェートが次第に高まりつつある中、中国企業が力を蓄えたことで、日本への投資が徐々に増加している。これらの背景の下で、日本政府は従来の一方的な対外投資の方向性を改め、欧米はもちろん、台湾・香港・中国内陸に対しても対日投資を推進する政策をとっている。日本政府の投資誘致政策のほかに、地方の各自治体においても自らの地理的位置や経済的資源、企業間競争におけるポテンシャルを生かしながら中国側との結びつきを強め、また相手地域の選択も行いながら中国に向けた投資誘致を実施するところも出始めている。
1. 日本の対内投資誘致政策とその現状
UNCTADの「2000年世界投資報告」に公表された外国向け直接投資に関するデータによると、140ヵ国の対内直接投資潜在力において、1位はイギリス、その次はフランス、ドイツで、日本は14位となっている。その指数はGDP成長率、一人当たりエネルギー消費量、カントリーリスクなどの要素に基づいて算出された結果である。その中で日本は投資対象として魅力的な相手国として評価されている。しかし、同報告の対内直接投資実績指数から見ると、日本は131位となっている。日本は投資誘致において潜在力が実績に結びついていないことが明らかであると言えよう。
2003年5月のIFS統計データにも以下のことが現れている。2001年の先進諸国における対内直接投資残高のGDPに占める割合は、アメリカ25.1%、イギリス38.6%、ドイツ24.2%、カナダ28.6%、オーストラリア29.5%に対して、日本は1.2%に過ぎなかった。日本の経済規模や対外投資実績などと比べると、外国からの投資規模との間には大きな落差がある。対外投資と対内投資の比率は1990年代半ばが10:1であったのに対して、21世紀に入ってやや縮小し9:5となった(2004年)が、依然として乖離は大きいものであった。日本国政府はこのような対外投資と対内投資のアンバランスの状況を打開し、外資誘致を通じた経済発展の促進政策に取り組むことで、特に過去10年間のバブル崩壊後の経済の停滞、デフレ状態の脱却に向け、外資誘致を日本経済の本格的な回復に導く手段とすることとした。
これにより、政府としては日本が対外投資大国の地位を維持しながら、企業進出における対内投資の新しいモデルを創出することに期待を寄せている。誘致相手国のターゲットは欧米の先進国からアジアの台湾、香港、中国にも向けられている。小泉首相は2003年1月国会における施政方針演説で、対内直接投資推進のための各種施策の展開により、2006年までの5年間で対日投資を倍増させ、対日直接投資残高を26兆円とする目標を打ち出した。その実現のために、小泉内閣は2003年から、「対日投資促進プログラム(INVEST JAPAN)」の推進を開始した。審査手続きの簡素化から、関連法令の改正、投資環境の改善によって、多国間のM&Aを促進し、地方自治体との協力で各種構造改革特区の設立により外資導入へのインセンティブを強化させることなど、次々と新しい政策を立て、外資による日本への進出に良好な環境や受け入れ態勢を整えつつある。
また、日本の在外公館の文化宣伝部門を通じて、積極的にPR活動を行った。日本貿易振興機構(ジェトロ)では日本政策投資銀行(DBJ)及び関連部門と連携し、2003年5月、外国企業に向けた対日投資の総合サービスセンター「対日投資ビジネスサポートセンター(IBSC)」を設立し、投資手続きの説明や各種アドバイス、コンサルティングなどのサービスを提供し始めた。DBJは金融面で対日投資プロジェクトを支援し、1999年~2004年の間、163プロジェクトに対して総額2,656億円の貸付金を提供した。
5分野74項目にわたるINVEST JAPANの政策的努力などにより対日投資政策は初期的に効果が見られ、2004年には日本への対日投資が初めて対外投資の355億ドルを上回る375億ドルとなり、今後もさらに拡大の方向に向かうものと考えられる。
2. 日本国内の外資誘致の地域間競争
従来から、対日投資において外国企業による立地の主な地域は東京、大阪、名古屋、横浜などの大都市が中心だった。21世紀に入って以来、日本政府による構造改革の進展に伴い、投資に関するビザ制度、法律、法規が次第に緩和され、地方自治体による権限も拡大の方向に向かいつつある。地方は投資誘致を通じて誘致対象国との交流と情報交換を進め、税収と雇用を増加させる効果にも期待し、対内投資推進におけるさまざまな施策競争を進めてきた。
より多くの外資を地元に誘致するため、自治体の中には専門の投資誘致機構を設立し、外国語が堪能な人材をサービスセンターで業務に従事させ、投資環境を説明したウェブサイトを開設するなど多種多様な活動を行ってきた。また、自治体とその関係機関は投資対象国へ投資誘致ミッションを派遣し、投資環境説明会を始め多様な機会を通じて対日投資をPRした。それらの地域の経済発展の程度や対内投資の実績から外資誘致の総合的なレベルを区分すると、以下のモデルが挙げられる。
(1)圧倒的な優位性を持つ東京・首都圏の投資環境
東京は、戦前戦後の経済回復期、経済の高度成長期、及びその後の長期間にわたる低成長期までの間、一貫して日本の首都としての機能を有し、ほとんどあらゆる社会の要素が一極集中されてきた。国土開発の不均衡を招きながらも、東京は長期間にわたって戦後の発展と繁栄を享受し、日本の政治、外交、文化の中心として他の都市にその追随を許さず、周辺地域に膨張してきた経緯がある。
経済集積に関しては、全国の11%の工場と大手企業の本社のほぼ半数以上が東京およびその周辺に集中し、工業生産高は全国1位である。戦後日本の都市化および交通・通信の急速な発展に伴い、東京と隣接する横浜、川崎、埼玉、千葉などの都市の連結により、京浜工業地域が形成され、造船、鉄鋼、機械製造、化学、石油、出版印刷業等の優位性が確立された。また東京は日本のビジネスと金融の中心となり、証券、外為、先物の各市場は世界的にも重要な地位にあり、大きな影響力を有している。以上挙げた要因は、多くの外資系企業が東京への投資を展開してきた動機とも言える。
関連統計データによると、外国企業は90%以上が東京地域に集中している。このような、長期にわたり形成されてきた様々な優位性は、他の地域にとり競争相手となり得ない要因となっている。そのため、東京及び首都圏に対する対内投資の割合は言うまでもなく日本の中で第1位である。
(2)大阪・福岡など大都市としての条件を持つ地域の投資環境
大阪、福岡の投資環境は、地理的な条件と発展した商工業の集積地という特性がある。周知のように、大阪は関西地方では最も重要な都市であり、同時に日本の重要な商工業、海運、陸運交通の中核である。1868年の開港以来、1874年には鉄道が敷設され、1889年以後、阪神工業地域の中心となっている。主に鉄鋼、機械製造、造船、化学工業、紡績、製紙を中心とし、工業生産高は東京に続き全国第2位となっている。大阪府及びその周辺地域には、日本の70%以上の中小企業が集中し、多くの企業は独自の特許技術を有している。
福岡市は九州北部の重要な港湾都市であり、港の歴史が長く、1939年に第1種重要港湾、1951年に重要港湾、1990年には特定重要港湾に指定された。人口は140万で、西日本の中心となっている。福岡県のGDPは1,620億ドル(2003年)であり、北欧のデンマークやノルウェーの経済力に匹敵する。工業が発達し、中でも北九州市は重要な工業地区である。主要産業は食品、金属加工、機械製造、紡績、印刷、自動車などで、中小企業が多数を占めている。
大阪と福岡は外資誘致に最も積極的な姿勢をとっている都市である。大阪市は経済規模が大きいという特徴を利用し、日本で最初に外資による工業団地が設立された都市である。2002年12月には、大阪にある複数の経済交流団体による代表団が派遣され、中国上海市や杭州市で外資誘致説明会などの活動が行われた。福岡は対馬海峡を挟んで韓国、中国・上海地域との地理的な近接性があり、九州上海事務所(福岡県、市、九州電力の3者共同)の開設を通じてこれらの地域をターゲットした観光や企業の誘致を着実に展開しつつある。
(3)新潟市、仙台市など地方都市の外資誘致
以上挙げた二つの外資系誘致の先進的地域と比較して、今後の取組みが期待できる地方都市の代表として新潟と仙台を取り上げてみる。新潟と仙台の投資環境としては、港湾と空港を有するという一定の優位性を持っているが、課題も多い。両地域は政策的には投資誘致の遅れている地域ではあるが、市役所を始めとする行政、産業界は誘致に力を入れはじめ、新潟型、仙台型の投資誘致パターンが形成されつつある。
新潟市は日本海側最大の港湾都市であり、また古くから日本における石油、天然ガスの主要産地でもあり、良質の農産物を産出する自然環境も有する。歴史的にロシアと中国との交易が進められていた経緯があったため、北東アジアという視野で積極的に環日本海諸国との交流を展開し、機械工業、化学工業、造船、金属製造や食品加工、紡績、製紙などの企業が中国をはじめとする世界各国と取引を行っている。
仙台市は東北地方最大の都市であり、重要な工業中枢である。製油、電子、鉄鋼、ゴム、出版印刷、食品工業などの企業が臨海部の工業地域を形成している。仙台は工業が発達している利点と新しい産業の導入を通じて、新たな人材育成と発展の方向を定めることを課題としている。
新潟・仙台とも中国東北地方との連携と友好都市の関係を活かし、投資誘致の対象を選択するなど、独自の方策を模索しつつある。新潟市はハルビン市政府及び黒龍江省における最大級のシンクタンクである黒龍江省社会科学院の協力を得て、2005年7月、ハルビンで投資誘致説明会を開催、60人余りの現地企業代表が参加した。その後、時期を変えて長春、瀋陽、上海でそれぞれ同様のセミナーを開催、2006年には天津での開催も計画中で、新潟進出を目指す企業の発掘に力点を置く。仙台市と地元産業界は、浙江省温州の企業、横浜の温州商会と提携し、仙台における空中中華街建設の総合計画を視野に入れて懸命な中国企業の誘致に取り掛かり始めている。
3. 中国企業による対日投資の基本的状況
1999年、中国政府が「走出去」(中国企業による対外進出・投資)戦略を打ち出して以来、中国経済の景気拡大により創出された企業の海外への投資意欲が盛んとなり、2004年末までの間の中国対外投資は7,647案件、総額448億ドルに上った。注目される案件として、レノボ(聯想)集団による米IBMのPC事業の買収や、中国石油天然気集団公司(CNPCペトロチャイナ)によるカザフスタン石油会社の買収事案、中国石油化工股分有限公司(SINOPEC シノペック)のナイジェリアへの石油施設への関連出資などがある。2005年の対外投資額は2004年を上回る69.2億ドルで、うち60.3%はアジア地域に集まり、主に香港、カンボジア、日本、モンゴル、ベトナムなどへの進出が多い。2005年末までの海外進出案件総数は8,000件を超え、金額は550億ドルとなる見通しである。
中国企業による対日投資も次第に増加しつつある。2004年末までの中国企業による対日投資額の累計は1,000件以上、総額1.39億ドルで、中国対外投資相手国ランキングの14位にある。また、在日華人、留学生など中小規模の起業投資と日本人の名義を借りた投資、そして香港、台湾による対日投資分も含めば、おそらく累計で3,000件を超え、総額は100億ドル以上に達するものと推定される。
中国企業による対日投資案件の中で、もっとも注目されたのは2001年1月、上海電気集団と香港企業との連携による日本の大手印刷会社、(旧)秋山印刷機器(所在地:茨城県、世界の印刷機器業界ランキング第6位)の買収であろう。秋山印刷機器はその後、「アキヤマインターナショナル」と改称し、上海電気集団はこの買収によって、印刷機に関係する技術を獲得、同業界において先進印刷技術を持つ企業との格差が18年相当縮小された。2003年の販売額は5,400万ドルを実現し、黒字に転換できた。
また、上海電気は2004年に機械メーカーである池貝も買収した。類似の案件では、2001年、広東美的電気による三洋電機(本社所在地:大阪市)の電子レンジ事業の買収がある。
2002年には、海爾集団(ハイアールグループ)が三洋電機と共同で5億元を投資し(海爾集団40%)、「三洋ハイアール」を創業したことによって、海爾集団は日本での販売ネットワークを獲得し、東京の秋葉原電気街でも販売することができた。
2003年7月、製薬大手の広東三九集団は富山県にある東亜製薬の株式60%を買収し、同社の経営権を獲得した。これによって、三九は日本の医薬品製造販売許可を取得し、三九が持っている国際販売ルートを利用して販売が行われた。
日本が過去20年間、中国へ一方通行で投資を行ってきたことは、中国企業の実力向上に寄与してきた一因であるとも言える。日本の対内投資ランキング第15位に位置する中国の対日投資はいま、中国政府の対外投資奨励政策の徹底とともに、民営企業を始めとする中国企業の対外進出意欲の向上によってなされている。中国企業が日本企業に対してM&Aを行っていく時代も、必ず来るに違いない。
4. 新潟の外資誘致政策と特徴
中国企業の対日投資の動きが加速しつつある中で、新潟市が中国東北地域からの企業投資を誘致する独特な手法が日中双方の行政、産業界、関係団体など広い範囲から注目された。
東京、横浜、大阪、神戸などの諸都市と比べれば、新潟市は投資誘致先としての魅力は多弱いとも言える。しかし新潟市は、北東アジア経済圏のゲートウェイというメリットを利用して、新潟に対する外資系企業の投資誘致を多岐にわたって展開している。特筆すべきこととしては、新潟市は2007年の政令指定都市移行を推進しており、交通、物流、通信などのインフラ面の整備や対岸諸国との関係強化などの面から、自ら新潟市の発展戦略および特徴に相応しい政策を制定し、また、積極的に投資誘致活動に努めていることである。
(1)新潟市の主な投資誘致の内容及び政策
新潟市は日本政府が推進する対内直接投資政策に連動する形で、外国企業の進出促進を目的とした特区をして日本国内では初めてとなる「新潟市国際創業特区」を設置した 。この特区を通じて、新潟市への直接投資や支店の設立などに意欲のある外国・外資系企業に対し、オフィスと在留資格面での優位性を発揮している。これは外国企業にとってビザを取得することが非常に困難な日本の出入国制度下で、外国人に対して何よりの便宜を提供することとなった。
また、新潟市は外国企業が新潟市に投資する初期における事務所の提供や、現地法人の活動時の補助金支援を行っている。具体的には、IT産業及び関連産業の用地補助や補助金制度、工場建設促進助成金、雇用促進補助金、産業活性化研究開発補助金、事業資金の融資制度、総合相談窓口の設立などの優遇措置をとっている。
また、上述した支援だけでなく、外国企業による新潟市への視察調査などの面でさまざまな支援が与えられている。例えば、「ハルビン東方餃子王餐飲連鎖有限公司」(本部所在地:ハルビン市、東北地域にある有名な餃子チェーン)と「北京章光101集団」(本部所在地:北京、中国で最も有名な育毛剤製品メーカー)が新潟で視察を行った際、行政側はこれを非常に重視し、関連情報提供から各種のコンサルティング、企業見学、物件紹介まで、非常に行き届いた便宜を提供した。
(2)新潟市の投資誘致におけるいくつかの特長
①交通、物流などインフラ面での優位性
新潟市は、環日本海の各国・地域と密接な交流関係がある。輸送面において、新潟港は韓国・釜山、中国・大連、天津、上海、青島、台湾・基隆、高雄の諸港との間に定期航路があり、他に東南アジアへのコンテナ航路などのルートを持っている。新潟空港はロシア極東地方、ソウル、上海、ハルビンなど国際航空路を8路線、国内では大阪、名古屋、福岡、札幌など主要都市に航空路が開設されている。新潟は環日本海の中枢都市としてその重要性を次第に増してきている。東京からは上越新幹線を利用して約2時間で到着でき、関越自動車道、北陸自動車道、日本海東北自動車道などの高速道路網により日本各地とつながっている。以上のような完備されたインフラは、外資系企業に対する新潟への投資誘致の基礎であり、外資系企業が新潟に進出する際に不可欠な前提要素とも言える。
②友好関係下の外交機構の誘致
過去のERINAによる調査では、中国企業が外国へ投資する際、本国政府及び対象国にある自国駐在機関による情報を重視する傾向があるとの結果が出ている。新潟市は、環日本海沿岸の諸国に対して積極的に駐在機関の新潟への開設を働きかけてきた。すでにロシアと韓国の総領事館が設置されており、中国政府に対する働き掛けも積極的に行われている。
また、新潟市と友好姉妹都市との関係でも、乾杯交流から実務と結果を重視する経済貿易関係の促進にシフトしている。新潟市は中国・ハルビン、ロシア・ハバロフスク、ウラジオストクなどの都市との友好関係を一層促進させるとともに、アメリカ、韓国などの国の都市とも友好交流を行っている。このような努力による国境をまたがる人的なネットワークの強化と、広範な地域間のネットワーク構築も、新潟への外資誘致にとって大きな役割を果たすことができるもの予想される。
③行政と産学官の相互提携の効果
行政主導による投資誘致は場合によって高いコストを要するが、新潟市は投資誘致の実践と研究機関との連携を結合することで効果を挙げている。具体的には、ERINAと中国東北各省にある社会科学院などのシンクタンクとの「産業連携における外資系企業誘致に関する日中共同研究」(平成15年度外務省日中知的交流支援事業)の結果に基づき、意欲的に産官学の連携を強化した。
昨年、東北三省の各都市においてそれぞれ開催された新潟市の投資環境説明会は、行政機関と両国の地域シンクタンク及び関係企業との共同参画により、将来の可能性の一端を覗かせた。
5. 新潟市への投資についてのハルビン市企業の考え方
中国企業による対日投資のメリットとデメリットは、中国における政府の対外貿易部門が研究する重点項目となっている。「なぜ日本へ投資するのか、運営はいかにするのか、継続的に発展拡大する可能性はあるのか、時期としては有利なのか、両国の政治関係は影響するか」などについて、産官学の意見は多種多様である。反対の立場を取る者は「中国企業、特に民営企業の発展がまだ日本へ投資するような段階に至っていない。今は中国国内で経営しつつ、企業体質を強化させる必要がある。」と言っており、一方、対日投資を賛成する意見としては、「国際発展の周期論によれば、GDPが一人あたり1,200ドルに達すると、企業は対外投資の能力を持ち始める。中国企業は日本への投資を通じて、技術とパテントを獲得し、企業ブランドを形成させる時機がきている。対日投資のチャンスを失うことなく、日中の双方がメリットを享受し、相互依存の前提に基づいて、積極的に対日投資を行うべきである。」と主張している。また、「日本では、中国経済が成長して、企業の利潤も拡大し、国民収入が増加してきたことにより、日本政府と地方自治体による中国企業からの投資誘致への期待が急激に高まった」とも指摘している。
このような賛否両論がある中で、2005年7月20日、新潟市とハルビン市政府、黒龍江省社会科学院は「新潟市投資環境説明会」を共同で開催した。ハルビン市の張顕有副市長、新潟市の大泉助役及び双方の外国貿易関連部局の担当責任者が出席、ハルビン市内の企業50余社、約60人が参加した。日本側から出席したERINAは、ハルビン市企業による新潟市へ投資の可能性について調査を行うためアンケートを実施し、45件の回答を得た。そのうち15件は日本への投資意向があり、さらにそのうち13件は新潟へ投資の意向があった。
同投資環境説明会を通じて示唆された以下の3点を強調したい。
(1)相互投資誘致の新たな概念
世界経済がグローバル化した今日、経済の占める重要性はますます強くなっている。協力と競争の構造は変化しつつあり、「発展途上国は外資を誘致するだけで、先進国への投資能力がない」という考え方は改めるべき時がきた。東北三省で実施された対日投資意向調査の過程で最も抵抗があったのは、企業ではなく中国側の行政であり、自国企業が外国への投資を行うことは不可能であると考えていただけではなく、現地企業の「走出去」(対外進出)による外貨の海外流出は望ましくないという考え方を持っていた。
昨年、米国政府が実施した「本土資金返還法」の特恵政策から見ると、米国企業は明らかに全世界規模での投資によって潤っているものと考えられる。シンガポール政府も自国企業の世界進出の現状に合わせて、対外投資立国の戦略を打ち出し、企業の対外投資と国際化を支援する強い姿勢を示した。グローバル化による賃金・労働力コストの増加、エネルギーの減少が予見できる将来においては、工場が国境を超え、エネルギー、技術、特許、ブランド、経営管理を相互に必要とする時代はドラスティックな手段をとらずとも到来するであろう。
(2)投資誘致の対象地域と目標の設定
今回、新潟市は北京、上海、天津など経済発展が進んでいる大都市での投資PRによる即効的な結果を求めなかった代わりに、新潟と友好関係があり、人と文化の交流が盛んに行われているハルビン市をはじめとする東北地域を投資誘致の対象として選択し、対象企業も信用力などから勘案して一定程度に絞った。明らかに投資が困難と思われる業種や、日本市場での結果が期待できない企業はふるいにかけられた。それと比べ、中国における投資誘致は多少盲目的に行われ、多国籍企業や大型企業の誘致に力を注いだが、特許と先端技術をもち、日本の企業数の99%以上を占める中小企業への誘致が軽視されてきた。
新潟市は誘致対象の選別において、3~5年の内には民営企業が主要な対外投資の主体となると予測し、それによって積極的に投資対象を選択し、業種によっては優遇程度にも差別化も図りながら投資誘致政策を制定している。この方策は将来明らかに効果が得られるものと評価したい。
(3)並存する対日投資のチャンスとリスク
新潟の紹介を通じ、中国企業にとっては日本への投資に、完備されたインフラ環境、多国籍企業の支店や工場が多数あること、高い技術力と国際的に信用力のあるブランドなどより多くの優位性とビジネスチャンスがあると感じられる同時に、日本への投資過程において顕在化するリスクも無視できない。世界の中でも極めて高価な営業コスト、オフィス家賃及び生活費のみならず、法律、税理、通訳・翻訳に関わるサービス料も非常に高く、中国企業の投資意欲をそぐことも考えられる。資金不足と実力がまだ脆弱な東北企業、特に民営企業に対して優れた日本の製造業が抱く危惧と敬遠感、日本の金融システムにおける融資手続の煩雑さ、外国企業に対する警戒心などの要因により、中国企業への融資も制約を受ける。
そのほか日本の経営風土、商習慣などから、地域の経済界・団体等には外資系企業、特に中国企業による買収や進出に対する抵抗が一部に存在することもある。また、企業間の激しい競争での生き残りに進出企業が直面する場面もあろう。
中国企業の対日投資は端緒についたばかりであり、行政や企業における課題が具体化するにつれ、その克服にはより緻密な対応が求められよう(原文は[ERINA REPORT]2006vol.70掲載)。
(参考文献)
1.「産業連携促進のための外資系企業誘致に関する日中共同研究」 ERINA 2004年3月
2. 「外資系企業誘致研究報告書」 新潟市 2005年3月
3. 福岡県、大阪府、新潟県の外資系企業の誘致資料 2003年
4. 「対外投資統計公報」 中国商務省 2004年
5. 「投資日本十大優勢」 日本貿易振興機構(中国語版) 2004年
5. 「走向東瀛-黒龍江省企業の日本進出に関する展望の中日共同研究」 日本僑報出版社 2005年12月
はじめに
21世紀に入って以来、中日両国の経済関係は新しい段階に入り、相互依存を強めながら発展している。中日双方の貿易額は2002年に1,000億ドルを突破して以来、2003年、2004年、2005年にはそれぞれ1,335億、1,680億、1,894億ドルに達し、2006年は2,000億ドル以上に達すると見込まれる。
一方、日本からの対中直接投資は2005年までに実行ベースで累計533.76億ドルに達し、2万社余の企業が中国に進出した。中国に長期滞在しているビジネスマンなどの日本人は7.4万人という公式統計があるが、実際はそれを大幅に上回る10万人以上であると推定される。日本との経済・貿易関係の緊密化によって、在日中国人も増加しており、60万人に達している。中国国内においては経済の高度成長に加え、大型国有企業は株式化への構造改革を進め、また、民営企業というニューカマーも著しく成長してきた。
各種の非公有制経済のウェートが次第に高まりつつある中、中国企業が力を蓄えたことで、日本への投資が徐々に増加している。これらの背景の下で、日本政府は従来の一方的な対外投資の方向性を改め、欧米はもちろん、台湾・香港・中国内陸に対しても対日投資を推進する政策をとっている。日本政府の投資誘致政策のほかに、地方の各自治体においても自らの地理的位置や経済的資源、企業間競争におけるポテンシャルを生かしながら中国側との結びつきを強め、また相手地域の選択も行いながら中国に向けた投資誘致を実施するところも出始めている。
1. 日本の対内投資誘致政策とその現状
UNCTADの「2000年世界投資報告」に公表された外国向け直接投資に関するデータによると、140ヵ国の対内直接投資潜在力において、1位はイギリス、その次はフランス、ドイツで、日本は14位となっている。その指数はGDP成長率、一人当たりエネルギー消費量、カントリーリスクなどの要素に基づいて算出された結果である。その中で日本は投資対象として魅力的な相手国として評価されている。しかし、同報告の対内直接投資実績指数から見ると、日本は131位となっている。日本は投資誘致において潜在力が実績に結びついていないことが明らかであると言えよう。
2003年5月のIFS統計データにも以下のことが現れている。2001年の先進諸国における対内直接投資残高のGDPに占める割合は、アメリカ25.1%、イギリス38.6%、ドイツ24.2%、カナダ28.6%、オーストラリア29.5%に対して、日本は1.2%に過ぎなかった。日本の経済規模や対外投資実績などと比べると、外国からの投資規模との間には大きな落差がある。対外投資と対内投資の比率は1990年代半ばが10:1であったのに対して、21世紀に入ってやや縮小し9:5となった(2004年)が、依然として乖離は大きいものであった。日本国政府はこのような対外投資と対内投資のアンバランスの状況を打開し、外資誘致を通じた経済発展の促進政策に取り組むことで、特に過去10年間のバブル崩壊後の経済の停滞、デフレ状態の脱却に向け、外資誘致を日本経済の本格的な回復に導く手段とすることとした。
これにより、政府としては日本が対外投資大国の地位を維持しながら、企業進出における対内投資の新しいモデルを創出することに期待を寄せている。誘致相手国のターゲットは欧米の先進国からアジアの台湾、香港、中国にも向けられている。小泉首相は2003年1月国会における施政方針演説で、対内直接投資推進のための各種施策の展開により、2006年までの5年間で対日投資を倍増させ、対日直接投資残高を26兆円とする目標を打ち出した。その実現のために、小泉内閣は2003年から、「対日投資促進プログラム(INVEST JAPAN)」の推進を開始した。審査手続きの簡素化から、関連法令の改正、投資環境の改善によって、多国間のM&Aを促進し、地方自治体との協力で各種構造改革特区の設立により外資導入へのインセンティブを強化させることなど、次々と新しい政策を立て、外資による日本への進出に良好な環境や受け入れ態勢を整えつつある。
また、日本の在外公館の文化宣伝部門を通じて、積極的にPR活動を行った。日本貿易振興機構(ジェトロ)では日本政策投資銀行(DBJ)及び関連部門と連携し、2003年5月、外国企業に向けた対日投資の総合サービスセンター「対日投資ビジネスサポートセンター(IBSC)」を設立し、投資手続きの説明や各種アドバイス、コンサルティングなどのサービスを提供し始めた。DBJは金融面で対日投資プロジェクトを支援し、1999年~2004年の間、163プロジェクトに対して総額2,656億円の貸付金を提供した。
5分野74項目にわたるINVEST JAPANの政策的努力などにより対日投資政策は初期的に効果が見られ、2004年には日本への対日投資が初めて対外投資の355億ドルを上回る375億ドルとなり、今後もさらに拡大の方向に向かうものと考えられる。
2. 日本国内の外資誘致の地域間競争
従来から、対日投資において外国企業による立地の主な地域は東京、大阪、名古屋、横浜などの大都市が中心だった。21世紀に入って以来、日本政府による構造改革の進展に伴い、投資に関するビザ制度、法律、法規が次第に緩和され、地方自治体による権限も拡大の方向に向かいつつある。地方は投資誘致を通じて誘致対象国との交流と情報交換を進め、税収と雇用を増加させる効果にも期待し、対内投資推進におけるさまざまな施策競争を進めてきた。
より多くの外資を地元に誘致するため、自治体の中には専門の投資誘致機構を設立し、外国語が堪能な人材をサービスセンターで業務に従事させ、投資環境を説明したウェブサイトを開設するなど多種多様な活動を行ってきた。また、自治体とその関係機関は投資対象国へ投資誘致ミッションを派遣し、投資環境説明会を始め多様な機会を通じて対日投資をPRした。それらの地域の経済発展の程度や対内投資の実績から外資誘致の総合的なレベルを区分すると、以下のモデルが挙げられる。
(1)圧倒的な優位性を持つ東京・首都圏の投資環境
東京は、戦前戦後の経済回復期、経済の高度成長期、及びその後の長期間にわたる低成長期までの間、一貫して日本の首都としての機能を有し、ほとんどあらゆる社会の要素が一極集中されてきた。国土開発の不均衡を招きながらも、東京は長期間にわたって戦後の発展と繁栄を享受し、日本の政治、外交、文化の中心として他の都市にその追随を許さず、周辺地域に膨張してきた経緯がある。
経済集積に関しては、全国の11%の工場と大手企業の本社のほぼ半数以上が東京およびその周辺に集中し、工業生産高は全国1位である。戦後日本の都市化および交通・通信の急速な発展に伴い、東京と隣接する横浜、川崎、埼玉、千葉などの都市の連結により、京浜工業地域が形成され、造船、鉄鋼、機械製造、化学、石油、出版印刷業等の優位性が確立された。また東京は日本のビジネスと金融の中心となり、証券、外為、先物の各市場は世界的にも重要な地位にあり、大きな影響力を有している。以上挙げた要因は、多くの外資系企業が東京への投資を展開してきた動機とも言える。
関連統計データによると、外国企業は90%以上が東京地域に集中している。このような、長期にわたり形成されてきた様々な優位性は、他の地域にとり競争相手となり得ない要因となっている。そのため、東京及び首都圏に対する対内投資の割合は言うまでもなく日本の中で第1位である。
(2)大阪・福岡など大都市としての条件を持つ地域の投資環境
大阪、福岡の投資環境は、地理的な条件と発展した商工業の集積地という特性がある。周知のように、大阪は関西地方では最も重要な都市であり、同時に日本の重要な商工業、海運、陸運交通の中核である。1868年の開港以来、1874年には鉄道が敷設され、1889年以後、阪神工業地域の中心となっている。主に鉄鋼、機械製造、造船、化学工業、紡績、製紙を中心とし、工業生産高は東京に続き全国第2位となっている。大阪府及びその周辺地域には、日本の70%以上の中小企業が集中し、多くの企業は独自の特許技術を有している。
福岡市は九州北部の重要な港湾都市であり、港の歴史が長く、1939年に第1種重要港湾、1951年に重要港湾、1990年には特定重要港湾に指定された。人口は140万で、西日本の中心となっている。福岡県のGDPは1,620億ドル(2003年)であり、北欧のデンマークやノルウェーの経済力に匹敵する。工業が発達し、中でも北九州市は重要な工業地区である。主要産業は食品、金属加工、機械製造、紡績、印刷、自動車などで、中小企業が多数を占めている。
大阪と福岡は外資誘致に最も積極的な姿勢をとっている都市である。大阪市は経済規模が大きいという特徴を利用し、日本で最初に外資による工業団地が設立された都市である。2002年12月には、大阪にある複数の経済交流団体による代表団が派遣され、中国上海市や杭州市で外資誘致説明会などの活動が行われた。福岡は対馬海峡を挟んで韓国、中国・上海地域との地理的な近接性があり、九州上海事務所(福岡県、市、九州電力の3者共同)の開設を通じてこれらの地域をターゲットした観光や企業の誘致を着実に展開しつつある。
(3)新潟市、仙台市など地方都市の外資誘致
以上挙げた二つの外資系誘致の先進的地域と比較して、今後の取組みが期待できる地方都市の代表として新潟と仙台を取り上げてみる。新潟と仙台の投資環境としては、港湾と空港を有するという一定の優位性を持っているが、課題も多い。両地域は政策的には投資誘致の遅れている地域ではあるが、市役所を始めとする行政、産業界は誘致に力を入れはじめ、新潟型、仙台型の投資誘致パターンが形成されつつある。
新潟市は日本海側最大の港湾都市であり、また古くから日本における石油、天然ガスの主要産地でもあり、良質の農産物を産出する自然環境も有する。歴史的にロシアと中国との交易が進められていた経緯があったため、北東アジアという視野で積極的に環日本海諸国との交流を展開し、機械工業、化学工業、造船、金属製造や食品加工、紡績、製紙などの企業が中国をはじめとする世界各国と取引を行っている。
仙台市は東北地方最大の都市であり、重要な工業中枢である。製油、電子、鉄鋼、ゴム、出版印刷、食品工業などの企業が臨海部の工業地域を形成している。仙台は工業が発達している利点と新しい産業の導入を通じて、新たな人材育成と発展の方向を定めることを課題としている。
新潟・仙台とも中国東北地方との連携と友好都市の関係を活かし、投資誘致の対象を選択するなど、独自の方策を模索しつつある。新潟市はハルビン市政府及び黒龍江省における最大級のシンクタンクである黒龍江省社会科学院の協力を得て、2005年7月、ハルビンで投資誘致説明会を開催、60人余りの現地企業代表が参加した。その後、時期を変えて長春、瀋陽、上海でそれぞれ同様のセミナーを開催、2006年には天津での開催も計画中で、新潟進出を目指す企業の発掘に力点を置く。仙台市と地元産業界は、浙江省温州の企業、横浜の温州商会と提携し、仙台における空中中華街建設の総合計画を視野に入れて懸命な中国企業の誘致に取り掛かり始めている。
3. 中国企業による対日投資の基本的状況
1999年、中国政府が「走出去」(中国企業による対外進出・投資)戦略を打ち出して以来、中国経済の景気拡大により創出された企業の海外への投資意欲が盛んとなり、2004年末までの間の中国対外投資は7,647案件、総額448億ドルに上った。注目される案件として、レノボ(聯想)集団による米IBMのPC事業の買収や、中国石油天然気集団公司(CNPCペトロチャイナ)によるカザフスタン石油会社の買収事案、中国石油化工股分有限公司(SINOPEC シノペック)のナイジェリアへの石油施設への関連出資などがある。2005年の対外投資額は2004年を上回る69.2億ドルで、うち60.3%はアジア地域に集まり、主に香港、カンボジア、日本、モンゴル、ベトナムなどへの進出が多い。2005年末までの海外進出案件総数は8,000件を超え、金額は550億ドルとなる見通しである。
中国企業による対日投資も次第に増加しつつある。2004年末までの中国企業による対日投資額の累計は1,000件以上、総額1.39億ドルで、中国対外投資相手国ランキングの14位にある。また、在日華人、留学生など中小規模の起業投資と日本人の名義を借りた投資、そして香港、台湾による対日投資分も含めば、おそらく累計で3,000件を超え、総額は100億ドル以上に達するものと推定される。
中国企業による対日投資案件の中で、もっとも注目されたのは2001年1月、上海電気集団と香港企業との連携による日本の大手印刷会社、(旧)秋山印刷機器(所在地:茨城県、世界の印刷機器業界ランキング第6位)の買収であろう。秋山印刷機器はその後、「アキヤマインターナショナル」と改称し、上海電気集団はこの買収によって、印刷機に関係する技術を獲得、同業界において先進印刷技術を持つ企業との格差が18年相当縮小された。2003年の販売額は5,400万ドルを実現し、黒字に転換できた。
また、上海電気は2004年に機械メーカーである池貝も買収した。類似の案件では、2001年、広東美的電気による三洋電機(本社所在地:大阪市)の電子レンジ事業の買収がある。
2002年には、海爾集団(ハイアールグループ)が三洋電機と共同で5億元を投資し(海爾集団40%)、「三洋ハイアール」を創業したことによって、海爾集団は日本での販売ネットワークを獲得し、東京の秋葉原電気街でも販売することができた。
2003年7月、製薬大手の広東三九集団は富山県にある東亜製薬の株式60%を買収し、同社の経営権を獲得した。これによって、三九は日本の医薬品製造販売許可を取得し、三九が持っている国際販売ルートを利用して販売が行われた。
日本が過去20年間、中国へ一方通行で投資を行ってきたことは、中国企業の実力向上に寄与してきた一因であるとも言える。日本の対内投資ランキング第15位に位置する中国の対日投資はいま、中国政府の対外投資奨励政策の徹底とともに、民営企業を始めとする中国企業の対外進出意欲の向上によってなされている。中国企業が日本企業に対してM&Aを行っていく時代も、必ず来るに違いない。
4. 新潟の外資誘致政策と特徴
中国企業の対日投資の動きが加速しつつある中で、新潟市が中国東北地域からの企業投資を誘致する独特な手法が日中双方の行政、産業界、関係団体など広い範囲から注目された。
東京、横浜、大阪、神戸などの諸都市と比べれば、新潟市は投資誘致先としての魅力は多弱いとも言える。しかし新潟市は、北東アジア経済圏のゲートウェイというメリットを利用して、新潟に対する外資系企業の投資誘致を多岐にわたって展開している。特筆すべきこととしては、新潟市は2007年の政令指定都市移行を推進しており、交通、物流、通信などのインフラ面の整備や対岸諸国との関係強化などの面から、自ら新潟市の発展戦略および特徴に相応しい政策を制定し、また、積極的に投資誘致活動に努めていることである。
(1)新潟市の主な投資誘致の内容及び政策
新潟市は日本政府が推進する対内直接投資政策に連動する形で、外国企業の進出促進を目的とした特区をして日本国内では初めてとなる「新潟市国際創業特区」を設置した 。この特区を通じて、新潟市への直接投資や支店の設立などに意欲のある外国・外資系企業に対し、オフィスと在留資格面での優位性を発揮している。これは外国企業にとってビザを取得することが非常に困難な日本の出入国制度下で、外国人に対して何よりの便宜を提供することとなった。
また、新潟市は外国企業が新潟市に投資する初期における事務所の提供や、現地法人の活動時の補助金支援を行っている。具体的には、IT産業及び関連産業の用地補助や補助金制度、工場建設促進助成金、雇用促進補助金、産業活性化研究開発補助金、事業資金の融資制度、総合相談窓口の設立などの優遇措置をとっている。
また、上述した支援だけでなく、外国企業による新潟市への視察調査などの面でさまざまな支援が与えられている。例えば、「ハルビン東方餃子王餐飲連鎖有限公司」(本部所在地:ハルビン市、東北地域にある有名な餃子チェーン)と「北京章光101集団」(本部所在地:北京、中国で最も有名な育毛剤製品メーカー)が新潟で視察を行った際、行政側はこれを非常に重視し、関連情報提供から各種のコンサルティング、企業見学、物件紹介まで、非常に行き届いた便宜を提供した。
(2)新潟市の投資誘致におけるいくつかの特長
①交通、物流などインフラ面での優位性
新潟市は、環日本海の各国・地域と密接な交流関係がある。輸送面において、新潟港は韓国・釜山、中国・大連、天津、上海、青島、台湾・基隆、高雄の諸港との間に定期航路があり、他に東南アジアへのコンテナ航路などのルートを持っている。新潟空港はロシア極東地方、ソウル、上海、ハルビンなど国際航空路を8路線、国内では大阪、名古屋、福岡、札幌など主要都市に航空路が開設されている。新潟は環日本海の中枢都市としてその重要性を次第に増してきている。東京からは上越新幹線を利用して約2時間で到着でき、関越自動車道、北陸自動車道、日本海東北自動車道などの高速道路網により日本各地とつながっている。以上のような完備されたインフラは、外資系企業に対する新潟への投資誘致の基礎であり、外資系企業が新潟に進出する際に不可欠な前提要素とも言える。
②友好関係下の外交機構の誘致
過去のERINAによる調査では、中国企業が外国へ投資する際、本国政府及び対象国にある自国駐在機関による情報を重視する傾向があるとの結果が出ている。新潟市は、環日本海沿岸の諸国に対して積極的に駐在機関の新潟への開設を働きかけてきた。すでにロシアと韓国の総領事館が設置されており、中国政府に対する働き掛けも積極的に行われている。
また、新潟市と友好姉妹都市との関係でも、乾杯交流から実務と結果を重視する経済貿易関係の促進にシフトしている。新潟市は中国・ハルビン、ロシア・ハバロフスク、ウラジオストクなどの都市との友好関係を一層促進させるとともに、アメリカ、韓国などの国の都市とも友好交流を行っている。このような努力による国境をまたがる人的なネットワークの強化と、広範な地域間のネットワーク構築も、新潟への外資誘致にとって大きな役割を果たすことができるもの予想される。
③行政と産学官の相互提携の効果
行政主導による投資誘致は場合によって高いコストを要するが、新潟市は投資誘致の実践と研究機関との連携を結合することで効果を挙げている。具体的には、ERINAと中国東北各省にある社会科学院などのシンクタンクとの「産業連携における外資系企業誘致に関する日中共同研究」(平成15年度外務省日中知的交流支援事業)の結果に基づき、意欲的に産官学の連携を強化した。
昨年、東北三省の各都市においてそれぞれ開催された新潟市の投資環境説明会は、行政機関と両国の地域シンクタンク及び関係企業との共同参画により、将来の可能性の一端を覗かせた。
5. 新潟市への投資についてのハルビン市企業の考え方
中国企業による対日投資のメリットとデメリットは、中国における政府の対外貿易部門が研究する重点項目となっている。「なぜ日本へ投資するのか、運営はいかにするのか、継続的に発展拡大する可能性はあるのか、時期としては有利なのか、両国の政治関係は影響するか」などについて、産官学の意見は多種多様である。反対の立場を取る者は「中国企業、特に民営企業の発展がまだ日本へ投資するような段階に至っていない。今は中国国内で経営しつつ、企業体質を強化させる必要がある。」と言っており、一方、対日投資を賛成する意見としては、「国際発展の周期論によれば、GDPが一人あたり1,200ドルに達すると、企業は対外投資の能力を持ち始める。中国企業は日本への投資を通じて、技術とパテントを獲得し、企業ブランドを形成させる時機がきている。対日投資のチャンスを失うことなく、日中の双方がメリットを享受し、相互依存の前提に基づいて、積極的に対日投資を行うべきである。」と主張している。また、「日本では、中国経済が成長して、企業の利潤も拡大し、国民収入が増加してきたことにより、日本政府と地方自治体による中国企業からの投資誘致への期待が急激に高まった」とも指摘している。
このような賛否両論がある中で、2005年7月20日、新潟市とハルビン市政府、黒龍江省社会科学院は「新潟市投資環境説明会」を共同で開催した。ハルビン市の張顕有副市長、新潟市の大泉助役及び双方の外国貿易関連部局の担当責任者が出席、ハルビン市内の企業50余社、約60人が参加した。日本側から出席したERINAは、ハルビン市企業による新潟市へ投資の可能性について調査を行うためアンケートを実施し、45件の回答を得た。そのうち15件は日本への投資意向があり、さらにそのうち13件は新潟へ投資の意向があった。
同投資環境説明会を通じて示唆された以下の3点を強調したい。
(1)相互投資誘致の新たな概念
世界経済がグローバル化した今日、経済の占める重要性はますます強くなっている。協力と競争の構造は変化しつつあり、「発展途上国は外資を誘致するだけで、先進国への投資能力がない」という考え方は改めるべき時がきた。東北三省で実施された対日投資意向調査の過程で最も抵抗があったのは、企業ではなく中国側の行政であり、自国企業が外国への投資を行うことは不可能であると考えていただけではなく、現地企業の「走出去」(対外進出)による外貨の海外流出は望ましくないという考え方を持っていた。
昨年、米国政府が実施した「本土資金返還法」の特恵政策から見ると、米国企業は明らかに全世界規模での投資によって潤っているものと考えられる。シンガポール政府も自国企業の世界進出の現状に合わせて、対外投資立国の戦略を打ち出し、企業の対外投資と国際化を支援する強い姿勢を示した。グローバル化による賃金・労働力コストの増加、エネルギーの減少が予見できる将来においては、工場が国境を超え、エネルギー、技術、特許、ブランド、経営管理を相互に必要とする時代はドラスティックな手段をとらずとも到来するであろう。
(2)投資誘致の対象地域と目標の設定
今回、新潟市は北京、上海、天津など経済発展が進んでいる大都市での投資PRによる即効的な結果を求めなかった代わりに、新潟と友好関係があり、人と文化の交流が盛んに行われているハルビン市をはじめとする東北地域を投資誘致の対象として選択し、対象企業も信用力などから勘案して一定程度に絞った。明らかに投資が困難と思われる業種や、日本市場での結果が期待できない企業はふるいにかけられた。それと比べ、中国における投資誘致は多少盲目的に行われ、多国籍企業や大型企業の誘致に力を注いだが、特許と先端技術をもち、日本の企業数の99%以上を占める中小企業への誘致が軽視されてきた。
新潟市は誘致対象の選別において、3~5年の内には民営企業が主要な対外投資の主体となると予測し、それによって積極的に投資対象を選択し、業種によっては優遇程度にも差別化も図りながら投資誘致政策を制定している。この方策は将来明らかに効果が得られるものと評価したい。
(3)並存する対日投資のチャンスとリスク
新潟の紹介を通じ、中国企業にとっては日本への投資に、完備されたインフラ環境、多国籍企業の支店や工場が多数あること、高い技術力と国際的に信用力のあるブランドなどより多くの優位性とビジネスチャンスがあると感じられる同時に、日本への投資過程において顕在化するリスクも無視できない。世界の中でも極めて高価な営業コスト、オフィス家賃及び生活費のみならず、法律、税理、通訳・翻訳に関わるサービス料も非常に高く、中国企業の投資意欲をそぐことも考えられる。資金不足と実力がまだ脆弱な東北企業、特に民営企業に対して優れた日本の製造業が抱く危惧と敬遠感、日本の金融システムにおける融資手続の煩雑さ、外国企業に対する警戒心などの要因により、中国企業への融資も制約を受ける。
そのほか日本の経営風土、商習慣などから、地域の経済界・団体等には外資系企業、特に中国企業による買収や進出に対する抵抗が一部に存在することもある。また、企業間の激しい競争での生き残りに進出企業が直面する場面もあろう。
中国企業の対日投資は端緒についたばかりであり、行政や企業における課題が具体化するにつれ、その克服にはより緻密な対応が求められよう(原文は[ERINA REPORT]2006vol.70掲載)。
(参考文献)
1.「産業連携促進のための外資系企業誘致に関する日中共同研究」 ERINA 2004年3月
2. 「外資系企業誘致研究報告書」 新潟市 2005年3月
3. 福岡県、大阪府、新潟県の外資系企業の誘致資料 2003年
4. 「対外投資統計公報」 中国商務省 2004年
5. 「投資日本十大優勢」 日本貿易振興機構(中国語版) 2004年
5. 「走向東瀛-黒龍江省企業の日本進出に関する展望の中日共同研究」 日本僑報出版社 2005年12月
2007年01月18日
中国ハルビンの飲食事情雑感
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
魅力の都市、独特な食事特徴
ご存知のように、黒龍江省と新潟県、ハルビン市と新潟市はそれぞれ1983年と1979年に友好都市関係を結びまして、両地域の経済・貿易往来もそれによって著しい発展を成し遂げました。黒龍江省の省都として、ハルビンは中国の東北部に位置し、歴史も悠久で、人口が多くて、市内だけでは394万人であります。また、中国の「金」、「清」政権の発祥地としても内外に知られています。ハルビン市は19世紀の中東(東清)鉄道の敷設によって次第に近現代的な都市に変貌したのであります。
現在、ハルビン市は中国における省管轄市の中の一番面積の大きいそして人口の多い市としてすでに黒龍江省の政治や経済、文化、科学技術及び交通の中心となりつつあります。
北東アジア交流の立場から見ると、ハルビン市は北東アジアの中心に位置され、「ユーラシア大陸ブリッジの真珠」と誉められ、帝政ロシアの100年余りの統治を受けられた影響で、町の至るところにヨーロッパ風とロシア風の建物が見られ、「中国の都市建築の博物館」と呼ばれ、「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」として人々に親しまれています。
ハルビンと新潟がまた良く似ている点もあります、どちらも義理人情を重視し、寛容さを持っている地域性が目立っている。そのためか、ハルビンでは離婚率がとても低いのです。新潟も低いと聞いていますが、日本では来年四月に実施が予定されている夫妻年金分割制度がスタートしたら,ひょっとして高くなるかも知れませんね。それから新潟美人というのを聞きますが,中国にはハルビン出身の有名なモデルが多いのです。美人の多いところもハルビンとよく似ていますね。美人を観光PRに活用すればイメージアップのアピール効果が出てくるでしょう。
以上の歴史と現実の影響を受けて、ハルビンの飲食文化は多様多彩であります。千何百年来の「金」、「元」時代の飲食文化の蓄積だけでなく、近現代における内外との飲食の交流もあります。地元で生まれ育った「黒龍江省の料理」のほかに、南方の「広東料理」、「山東料理」、「四川料理」などがあります。また、ロシア、フランス、イタリア料理などもあります。以上の飲食を提供するために一流ホテルの中にある高級レストランだけでなく、古い歴史を持つ老舗やモダンな現代的な食堂、世界の特色を吸収するいろんなレベルの違うレストランがあります。近年、各種の飲食チェーン店の経営や、香港と台湾系の喫茶店、コーヒーショップなどが多くあります。これらはハルビンの食の花を一気に咲かせる状況を作り出し,飲食も時運に応じて新たな形態が現われました。一口でハルビン市の飲食特徴をまとめて言えば、「素朴の中にすっきりしていて、豪放の中にも精華を持っている」ということではないかと思います。
ハルビン人の飲食は百家(たくさんの人)の長所を吸収し受け入れた一方で、寒い天候の変化に応じ冷凍食品と生鮮食事を代表とするこの地方独自の料理系列を作り出しました。それは地元の肉、魚、乳製品、野菜、豆、青果などを素材として、冷凍、塩漬け、焼き、炒め、揚げ、煮込み、燻製、餡かけなど独特な調理法で前菜、熱い料理、デザートなどを完成させます。「酸っぱい白菜と春雨の炒めもの」、「高菜と豆腐の煮込みもの」、「豚の腸と白い肉のスープ」などがその中の名物であります。その他に、地方の名物宴会もあり、割合良く知られているのは「ハルビン飛龍,これは(鳥の名前です)宴」、「ノロ(これは鹿の一種です)の宴」、「羊の丸焼き宴」、「魚の宴」、「鹿肉の宴」などであります。歴史上にはもっとも評判の高い「満漢全席(これは満州族の食事です)」もハルビン氷雪飲食の欠かせないメイン・ディッシュであります。
中国では「酒なしは席にならん」という諺があって,ハルビンの独特な食風土は食事ごとに酒を飲む習慣があります。酒も地元の原料で醸造し、またアルコール度数の高い酒が歓迎されます。「北大倉」、「大高粱」、「玉泉」など地元で知名度の高い酒があります。同時に、欧米特にロシア式の飲食風習の影響を受けて、ハルビン人はビールを飲むのが大好きで、女性を含む底なしの人が大勢います。ハルビン人のビール飲みはまったく水田を灌漑するようなものであるとの描写もあるくらいです。割合有名なビールメーカは「ハルビンビール」、「新三星」、「太陽島」であります。
ハルビン市に飲食企業は一万軒前後ありますが、営業面積が300平米以上で同時に100人を収容できる中型の店が3000軒ぐらいあります。各店は地元の食材を最優先しながら、南部の食材を北の調理法で処理する一方、中華料理と西洋料理の折衷を行い,北京料理、山東料理、四川料理、広東料理、蘇州料理、湖南料理、西洋料理など食の花が咲き乱れるような競争局面を形成しております。そのような競争によって、ハルビン人の食への要求を満足させるだけでなく、各地食文化の融合によりハルビンのグルメ天堂の位置を固め、ハルビンの飲食業界の更なる競争を促しました。
飲食業界の競争
あるデータによりますと、中国における飲食店舗はすでに374万軒あるとされており,平均すると中国では人口350人に一店舗の割合になります。ですが、190万軒の朝の軽い食事を提供する店舗と100万軒の簡単な食事を提供する小型店舗を除いたら、飲食基準がだんだん高くなっている市民の要求を満足させる店舗はまだ足りない状況であります。また、激しい競争によって短期間で多くの店舗が開業しますが、閉店ないし倒産するという悪性循環も目立ち、いかにして競争に打ち勝っていくかはこれからの飲食企業が直面しなければならない課題であります。
山東からの移民が多いためかも分かりませんが、ハルビンの市民の殆どは饅頭、肉饅頭、餃子、饂飩などが大好きで、中国では小麦粉を使った料理を麺類と言いますが,これらの麺類は飲食生活の中に欠かせない部分となります。特に餃子はこの麺類の中の極上品と誉められ、昔の大晦日とお客さんを招待する以外になかなか食べられない上等のものでありました。現在は、生活水準のアップによって餃子はすでに貴族の身分から極普通の市民の家でも食することができるようになり,人々に喜ばれ,また歓迎される大衆食品となりましたが、旧暦の大晦日と週末に餃子を食べる習慣は今まで受け継ぎ続けています。
近年、飲食を含む食品産業はすでにハルビン市の主要産業となり、関連の投資が増加しています。ハルビン市への外資系企業の進出について,食品やこれと密接な関係を持つ飲食業が期待されています。また、市民収入の増加と生活レベルの高くなっていることによって外食の機会も増えています。今、ハルビンにおける一つの家庭の平均外食はすでに月一回から周一回にアップし、伝統的な大晦日の夕食さえもレストランにシフトする市民も増えつつあります。これらはいろいろな面からハルビン市の飲食業の発展と競争を刺激したと考えられます。現在、ハルビンの飲食業はすでに新しい勢力として地元「風野料理がムードに現われて、」南方飲食ブランドがチャンスを攻め取り、外資飲食ブランドがどんどん進出しているという大競争の時代を迎えています。
日本企業のハルビン進出に関する提言
日本企業の中国市場進出についてはビジネスチャンスがあるかどうかの議論はもう必要がないと思います。有る資料の統計によりますと、2005年における中国の飲食業は著しく発展し,市場の規模も増大していて、1978年と比べて159倍の壮大となります。その中に特に強調したいのは三つあります。一つ目は中国人の平均飲食消費が増加していて、その趨勢もさらに加速しているということ。二つ目は外資系飲食企業の進入スピードが加速されて規模も大型化となっていることです。三つ目は飲食市場の規模化とブランド化がどんどん進められていることです。
下記の数字を挙げたいですが、2005年における中国飲食業界の総売上は8806億元,1兆3,200億円で、前年より16.8%増長しまして、15年連続の増長でした。去年度、飲食業が国に収める税金は484億元,7,260億円でした。飲食業界の外資進入も目立っています。2006年前半だけで外資利用額は1.3億ドルとなり去年より3.6%増長しました。世界的に有名な10大ファストフードブランド飲食企業の中に、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、ピザハット、ディコス、カフェドコラル、永和世界豆浆大王など八社がすでに中国に進出している。ケンタッキは2005年における中国飲食業の売上トップとなり、ファストフードの中華本土料理への衝撃をも伺えます。
ハルビンに進出している日系資本は、三菱自動車と東北軽合金公司の自動車エンジン項目が注目されていますが、日系食品企業と飲食企業の進出も市民の話題となります。日本でも有名な森永乳品のハルビン工場はすでに黒字に転じ、北隆食品会社も日本輸出の厚生労働省の許可を得られ日本への輸出をチャレンジしている。
麺類の代表であるラーメンを挙げますと、ハルビン桜木ラーメン、和風ラーメン、博多ラーメンの次に、今年の7月に新潟県上越市にある「源建設」と言う会社がハルビンでの最初の上越風のラーメン店をオープンさせて、市民の歓迎を得られうまくいっているそうです。歴史から見るとハルビン市と日本の間に切っても切れない関係と持っていたが、開放的で且つ受容性の強いハルビン市民はそのため日本の食事及び文化を拒否することはまずないと思います。逆に日本料理はハルビンでの収益空間が大きく、努力すれば成功の概率も高いと、これは私の率直的な考えです。
中国の東北地域に進出している新潟県内の企業はもう数十社に及びますがで、その中でも大連への進出が20社で圧倒的に多いです。今後はハルビンまでに北上すればいろいろなビジネスチャンスが出てくるでしょうね。
もちろん、新潟の食品及び飲食企業の中国進出は必ず成功できると思いません。特に中国北部の飲食分野へ進出しようと思われる日系企業にとっては、幾つかの注意点を心がけなければならなりません。
まずハルビンメリットとしては商圏が広くて人口も多いことが挙げられます。市内人口394万のほかに、周辺の消費人口を合わせて900万を超える商圏となります。そして、黒龍江省の省都で、飲食業と観光業の発展が特に重視されていて、飲食業の経済への波及効果も大きい。また、市民の消費レベルが高くて、外食の意欲が旺盛であります。ハルビンで行われる冬の氷祭りは有名で、夏季の避暑地観光など観光資源が豊かで、毎年6月に開催される「ハルビン商談会」など国家と地方レベルの盛会が多いです。ただし,以上の優勢に大してマイナスの面も無視できないと考えます。
まず、食品と飲食業界は値上がりが続く農産物値段の高騰に非常に敏感になっています。いかにして投資と経営のコストをコントロールできるかは永遠の課題で、特に日本企業の場合、食材の調達ルートを重視していますね。
その次に、日本企業が持っている先端技術をいかにしてハルビンの風土に結びつけ現地で消化し,合理的に吸収していくかの問題であります。台湾の旺旺食品集団と新潟岩塚製菓株式会社との技術開発と市場開拓野分担合作の成功例は良い参考となれると痛感しております。
第三、飲食は地域と民族習慣に深く関わってきます。いかにして日本料理或いは食品が中国人に受け入れられるのか。これも時間のかかる試練だと思います。上海の味千ラーメン、大連の王将餃子などの成功は粘り強い努力の段階を体験しましたね。
最後、強調したいのは、日系企業の中国投資と中国企業の日本投資は経済の相互依存の加速によって生まれた現象で、WIN-WINの結果だと理解してほしい。
一研究者として、新潟における食品ないし飲食企業のハルビン投資を歓迎し深く期待しております。日本飲食文化の進出は、中日友好を促し国民レベルの感情を理解し,多くの交流を促進する何よりの手段だと思います。
図:ハルビン最も有名な餃子チェーン店の「東方餃子王」本部

魅力の都市、独特な食事特徴
ご存知のように、黒龍江省と新潟県、ハルビン市と新潟市はそれぞれ1983年と1979年に友好都市関係を結びまして、両地域の経済・貿易往来もそれによって著しい発展を成し遂げました。黒龍江省の省都として、ハルビンは中国の東北部に位置し、歴史も悠久で、人口が多くて、市内だけでは394万人であります。また、中国の「金」、「清」政権の発祥地としても内外に知られています。ハルビン市は19世紀の中東(東清)鉄道の敷設によって次第に近現代的な都市に変貌したのであります。
現在、ハルビン市は中国における省管轄市の中の一番面積の大きいそして人口の多い市としてすでに黒龍江省の政治や経済、文化、科学技術及び交通の中心となりつつあります。
北東アジア交流の立場から見ると、ハルビン市は北東アジアの中心に位置され、「ユーラシア大陸ブリッジの真珠」と誉められ、帝政ロシアの100年余りの統治を受けられた影響で、町の至るところにヨーロッパ風とロシア風の建物が見られ、「中国の都市建築の博物館」と呼ばれ、「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」として人々に親しまれています。
ハルビンと新潟がまた良く似ている点もあります、どちらも義理人情を重視し、寛容さを持っている地域性が目立っている。そのためか、ハルビンでは離婚率がとても低いのです。新潟も低いと聞いていますが、日本では来年四月に実施が予定されている夫妻年金分割制度がスタートしたら,ひょっとして高くなるかも知れませんね。それから新潟美人というのを聞きますが,中国にはハルビン出身の有名なモデルが多いのです。美人の多いところもハルビンとよく似ていますね。美人を観光PRに活用すればイメージアップのアピール効果が出てくるでしょう。
以上の歴史と現実の影響を受けて、ハルビンの飲食文化は多様多彩であります。千何百年来の「金」、「元」時代の飲食文化の蓄積だけでなく、近現代における内外との飲食の交流もあります。地元で生まれ育った「黒龍江省の料理」のほかに、南方の「広東料理」、「山東料理」、「四川料理」などがあります。また、ロシア、フランス、イタリア料理などもあります。以上の飲食を提供するために一流ホテルの中にある高級レストランだけでなく、古い歴史を持つ老舗やモダンな現代的な食堂、世界の特色を吸収するいろんなレベルの違うレストランがあります。近年、各種の飲食チェーン店の経営や、香港と台湾系の喫茶店、コーヒーショップなどが多くあります。これらはハルビンの食の花を一気に咲かせる状況を作り出し,飲食も時運に応じて新たな形態が現われました。一口でハルビン市の飲食特徴をまとめて言えば、「素朴の中にすっきりしていて、豪放の中にも精華を持っている」ということではないかと思います。
ハルビン人の飲食は百家(たくさんの人)の長所を吸収し受け入れた一方で、寒い天候の変化に応じ冷凍食品と生鮮食事を代表とするこの地方独自の料理系列を作り出しました。それは地元の肉、魚、乳製品、野菜、豆、青果などを素材として、冷凍、塩漬け、焼き、炒め、揚げ、煮込み、燻製、餡かけなど独特な調理法で前菜、熱い料理、デザートなどを完成させます。「酸っぱい白菜と春雨の炒めもの」、「高菜と豆腐の煮込みもの」、「豚の腸と白い肉のスープ」などがその中の名物であります。その他に、地方の名物宴会もあり、割合良く知られているのは「ハルビン飛龍,これは(鳥の名前です)宴」、「ノロ(これは鹿の一種です)の宴」、「羊の丸焼き宴」、「魚の宴」、「鹿肉の宴」などであります。歴史上にはもっとも評判の高い「満漢全席(これは満州族の食事です)」もハルビン氷雪飲食の欠かせないメイン・ディッシュであります。
中国では「酒なしは席にならん」という諺があって,ハルビンの独特な食風土は食事ごとに酒を飲む習慣があります。酒も地元の原料で醸造し、またアルコール度数の高い酒が歓迎されます。「北大倉」、「大高粱」、「玉泉」など地元で知名度の高い酒があります。同時に、欧米特にロシア式の飲食風習の影響を受けて、ハルビン人はビールを飲むのが大好きで、女性を含む底なしの人が大勢います。ハルビン人のビール飲みはまったく水田を灌漑するようなものであるとの描写もあるくらいです。割合有名なビールメーカは「ハルビンビール」、「新三星」、「太陽島」であります。
ハルビン市に飲食企業は一万軒前後ありますが、営業面積が300平米以上で同時に100人を収容できる中型の店が3000軒ぐらいあります。各店は地元の食材を最優先しながら、南部の食材を北の調理法で処理する一方、中華料理と西洋料理の折衷を行い,北京料理、山東料理、四川料理、広東料理、蘇州料理、湖南料理、西洋料理など食の花が咲き乱れるような競争局面を形成しております。そのような競争によって、ハルビン人の食への要求を満足させるだけでなく、各地食文化の融合によりハルビンのグルメ天堂の位置を固め、ハルビンの飲食業界の更なる競争を促しました。
飲食業界の競争
あるデータによりますと、中国における飲食店舗はすでに374万軒あるとされており,平均すると中国では人口350人に一店舗の割合になります。ですが、190万軒の朝の軽い食事を提供する店舗と100万軒の簡単な食事を提供する小型店舗を除いたら、飲食基準がだんだん高くなっている市民の要求を満足させる店舗はまだ足りない状況であります。また、激しい競争によって短期間で多くの店舗が開業しますが、閉店ないし倒産するという悪性循環も目立ち、いかにして競争に打ち勝っていくかはこれからの飲食企業が直面しなければならない課題であります。
山東からの移民が多いためかも分かりませんが、ハルビンの市民の殆どは饅頭、肉饅頭、餃子、饂飩などが大好きで、中国では小麦粉を使った料理を麺類と言いますが,これらの麺類は飲食生活の中に欠かせない部分となります。特に餃子はこの麺類の中の極上品と誉められ、昔の大晦日とお客さんを招待する以外になかなか食べられない上等のものでありました。現在は、生活水準のアップによって餃子はすでに貴族の身分から極普通の市民の家でも食することができるようになり,人々に喜ばれ,また歓迎される大衆食品となりましたが、旧暦の大晦日と週末に餃子を食べる習慣は今まで受け継ぎ続けています。
近年、飲食を含む食品産業はすでにハルビン市の主要産業となり、関連の投資が増加しています。ハルビン市への外資系企業の進出について,食品やこれと密接な関係を持つ飲食業が期待されています。また、市民収入の増加と生活レベルの高くなっていることによって外食の機会も増えています。今、ハルビンにおける一つの家庭の平均外食はすでに月一回から周一回にアップし、伝統的な大晦日の夕食さえもレストランにシフトする市民も増えつつあります。これらはいろいろな面からハルビン市の飲食業の発展と競争を刺激したと考えられます。現在、ハルビンの飲食業はすでに新しい勢力として地元「風野料理がムードに現われて、」南方飲食ブランドがチャンスを攻め取り、外資飲食ブランドがどんどん進出しているという大競争の時代を迎えています。
日本企業のハルビン進出に関する提言
日本企業の中国市場進出についてはビジネスチャンスがあるかどうかの議論はもう必要がないと思います。有る資料の統計によりますと、2005年における中国の飲食業は著しく発展し,市場の規模も増大していて、1978年と比べて159倍の壮大となります。その中に特に強調したいのは三つあります。一つ目は中国人の平均飲食消費が増加していて、その趨勢もさらに加速しているということ。二つ目は外資系飲食企業の進入スピードが加速されて規模も大型化となっていることです。三つ目は飲食市場の規模化とブランド化がどんどん進められていることです。
下記の数字を挙げたいですが、2005年における中国飲食業界の総売上は8806億元,1兆3,200億円で、前年より16.8%増長しまして、15年連続の増長でした。去年度、飲食業が国に収める税金は484億元,7,260億円でした。飲食業界の外資進入も目立っています。2006年前半だけで外資利用額は1.3億ドルとなり去年より3.6%増長しました。世界的に有名な10大ファストフードブランド飲食企業の中に、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、ピザハット、ディコス、カフェドコラル、永和世界豆浆大王など八社がすでに中国に進出している。ケンタッキは2005年における中国飲食業の売上トップとなり、ファストフードの中華本土料理への衝撃をも伺えます。
ハルビンに進出している日系資本は、三菱自動車と東北軽合金公司の自動車エンジン項目が注目されていますが、日系食品企業と飲食企業の進出も市民の話題となります。日本でも有名な森永乳品のハルビン工場はすでに黒字に転じ、北隆食品会社も日本輸出の厚生労働省の許可を得られ日本への輸出をチャレンジしている。
麺類の代表であるラーメンを挙げますと、ハルビン桜木ラーメン、和風ラーメン、博多ラーメンの次に、今年の7月に新潟県上越市にある「源建設」と言う会社がハルビンでの最初の上越風のラーメン店をオープンさせて、市民の歓迎を得られうまくいっているそうです。歴史から見るとハルビン市と日本の間に切っても切れない関係と持っていたが、開放的で且つ受容性の強いハルビン市民はそのため日本の食事及び文化を拒否することはまずないと思います。逆に日本料理はハルビンでの収益空間が大きく、努力すれば成功の概率も高いと、これは私の率直的な考えです。
中国の東北地域に進出している新潟県内の企業はもう数十社に及びますがで、その中でも大連への進出が20社で圧倒的に多いです。今後はハルビンまでに北上すればいろいろなビジネスチャンスが出てくるでしょうね。
もちろん、新潟の食品及び飲食企業の中国進出は必ず成功できると思いません。特に中国北部の飲食分野へ進出しようと思われる日系企業にとっては、幾つかの注意点を心がけなければならなりません。
まずハルビンメリットとしては商圏が広くて人口も多いことが挙げられます。市内人口394万のほかに、周辺の消費人口を合わせて900万を超える商圏となります。そして、黒龍江省の省都で、飲食業と観光業の発展が特に重視されていて、飲食業の経済への波及効果も大きい。また、市民の消費レベルが高くて、外食の意欲が旺盛であります。ハルビンで行われる冬の氷祭りは有名で、夏季の避暑地観光など観光資源が豊かで、毎年6月に開催される「ハルビン商談会」など国家と地方レベルの盛会が多いです。ただし,以上の優勢に大してマイナスの面も無視できないと考えます。
まず、食品と飲食業界は値上がりが続く農産物値段の高騰に非常に敏感になっています。いかにして投資と経営のコストをコントロールできるかは永遠の課題で、特に日本企業の場合、食材の調達ルートを重視していますね。
その次に、日本企業が持っている先端技術をいかにしてハルビンの風土に結びつけ現地で消化し,合理的に吸収していくかの問題であります。台湾の旺旺食品集団と新潟岩塚製菓株式会社との技術開発と市場開拓野分担合作の成功例は良い参考となれると痛感しております。
第三、飲食は地域と民族習慣に深く関わってきます。いかにして日本料理或いは食品が中国人に受け入れられるのか。これも時間のかかる試練だと思います。上海の味千ラーメン、大連の王将餃子などの成功は粘り強い努力の段階を体験しましたね。
最後、強調したいのは、日系企業の中国投資と中国企業の日本投資は経済の相互依存の加速によって生まれた現象で、WIN-WINの結果だと理解してほしい。
一研究者として、新潟における食品ないし飲食企業のハルビン投資を歓迎し深く期待しております。日本飲食文化の進出は、中日友好を促し国民レベルの感情を理解し,多くの交流を促進する何よりの手段だと思います。
図:ハルビン最も有名な餃子チェーン店の「東方餃子王」本部

2007年01月18日
チチハル第二機床(工作機械)工場を訪ねて
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
6月28日、ERINA自主研究事業である「東北振興及び中国対外投資研究」の現地調査で「哈大斉」工業コリドールの中核都市であるチチハル市にあるチチハル第二機床工場を訪問した。
ハルビン・大慶・チチハル工業コリドール(「哈大斉工業回廊」、中国では「走廊」という)は2004年11月、中国中央政府の東北振興戦略に同調して黒龍江省人民政府が打ち出した地方レベルの開発戦略である。具体的には、黒龍江省の省都であるハルビンから石油生産基地である大慶、重工業都市チチハルなどの大都市とその周囲地域を高速交通体系で結び、産業が高度に集積された工業地帯として形成させる構想である。
長期目標としては2020年までの15年間で重度のアルカリ土壌である同地域の921平方キロを開発、5つの都市を軸とし、都市間の交通ルートを中心軸とする。
帯状に広がる哈大斉工業回廊構想は、海外マスコミからも「中国東北旧工業基地振興における重大な戦略配置」と報道され、黒龍江省の小康(ゆとりのある社会)社会を推進するための産業戦略である。
ERINAでは中国の国家政策である東北振興戦略について経過的に調査研究を重ねてきているが、今回はその一環として哈大斉工業回廊を直接訪問した。ここでは、重工業都市であるチチハルの訪問を通じて取材した国有企業のケースを取り上げることとしたい。
6月末近くともなると中国は東北部でも30度を超える真夏日が珍しくない。丹頂鶴の生息地として知られ「鶴城(鶴の市)」の異名を持つ黒龍江省チチハル市は北緯48度に位置しながらも大陸性亜寒帯気候のため夏は暑く、冬はマイナス30度まで下がる。
チチハルはダフール語で「辺境」、「天然牧場」の意味である。清朝の黒龍江将軍府と建国初期の黒龍江省の省都はここに設けられたことがある。地元の住民によると、地形的に坂が少なく、平野に街が広がっていることや国有企業が集中していて労働者員が多いため、チチハル市は省内でも自転車が多いことで有名な都市とのことである。
また、チチハル市は中国建国初期に建設された最初の工業基地で、確固とした工業基盤を持っている都市でもある。膨大な企業群の中でも、当時の周恩来総理から「国宝」と「掌上の玉」と呼ばれた第一大型(重型)機械工場、北満特殊鉄鋼工場、中国工作機械業界でもランキングに入るチチハル第一機床工場と第二機床工場、中国における最大の鉄道貨物車両製造メーカーであるチチハル車両工場、「和平」、「建華」、「華安」といったブランドで知られる軍需産業企業もチチハル経済の支柱となっている。
これらの企業の中で、今回はチチハル第二機床工場を訪問した。同工場は1950年に創立され、当時は旧ソ連からの対中支援プロジェクトの一つとして立ち上げられた。従業員はピーク時に3万人を超えたが、1990年代以後、レイオフを中心とした何回もの企業改革の試練を経て、現時点の従業員は4,000に減った。創立以来、関心を寄せた国家指導者も多く、毛沢東による同工場の模範労働者、馬恒昌の接見を始め、鄧小平、江沢民、そして現政権の国家主席である胡錦涛がそれぞれ訪問している。
2001年以来、中国政府による経済の国家マクロコントロールが奏効し、経済の好転によって、第二機床も再生の時期を迎えた。企業業績は今のところ5年間連続して成長基調を保ち続けている。従業員の給料水準も向上しており、一般の従業員で月額2,000元、技術者従業員は3,000元の給与を得ている。
増収増益によって従業員の勤労意欲も大いに高まっているとのことで、このような景況を維持するため同社では財産権制度の改革に着手した。チチハルには大規模な国有企業が8社あり同社の規模は下位に属しているが、株式制度と財産権制度の改革は最も早くから開始し、現状としては基本的に最終段階に入ったと言える。
具体的には国の優遇政策によって審査の上11億元の財政支出を許可された。企業もそれを条件に有限責任公司に変容し、傘下にあった子会社2社も本社の負担を軽減するためグループから手放し民営化された。
また、中国国家発展銀行による全国機床連盟も発足し、同社もそれによる融資を取り付けることができ、今後の発展のための大きな基盤整備ができたとしている。
国有企業の民営化と外資との提携について、中日双方のさまざまな場面において検討が繰り返されている。同社のケースでは1990年代の不況期には従業員への給料まで支払えないほどの体験をし、必死で外資との提携・買収による企業の再生を模索したが、頼みとする外資からは対応してもらえなかった。日本の大企業に対しても提携の打診をしたが断わられるなど辛酸を舐めたが、現在では中国国家発展銀行による支援と資金導入の結果、企業体質が改善され、自ら関心を表明する外資が増えている状況である。
工場内に設置されている各種設備は2,000台、その中には18メートル高の大型工作機械組立ショップを9ヵ所、大型設備運搬用160トン級のクレーン、面積4,000平方メートル
の恒温ショップと空調の付いた計量センターなどがあり、超大型・重型の工作機械、椴圧機械の生産が可能である。
現在、ドイツ、日本、イタリア、ロシアなどから関連技術を導入し、縦型デジタルフライス盤、横型デジタルフライス盤、椴圧機械など、200種類以上に及ぶ製品を世界40ヵ国へ輸出している。小型デジタル式工作機械の製造現場では、職場の従業員はおおむね300人だが専門的技術を有する従業員が60人しかおらず、他は全て補助従業員であり、連日2シフト制を敷いているがそれでも生産が間に合わない状況を見聞した。
最後に中国の経済発展において大きな関心事となっている省エネルギーの取組みに関して訊ねたところ、工場としては電気、燃料など多くのエネルギーを消耗しており、節約の一環としてこまめなスイッチの開閉などを提唱しているが、技術的にはまだ不十分で今後克服する必要がある、東北振興政策のプロジェクト指定によって、関連の経費が獲得できたことにより省エネの方面にも力を入れたいとの答えがあった。
宣伝はされているが意外と知られていない東北振興政策の実情と未来図がうかがえるような訪問だった(原文は[ERINA REPORT]2006vol.72掲載)。
図:チチハル第二機床(工作機械)工場の庭(構内に飾ってある写真は歴代中央指導者が当該工場を視察された様子)
6月28日、ERINA自主研究事業である「東北振興及び中国対外投資研究」の現地調査で「哈大斉」工業コリドールの中核都市であるチチハル市にあるチチハル第二機床工場を訪問した。
ハルビン・大慶・チチハル工業コリドール(「哈大斉工業回廊」、中国では「走廊」という)は2004年11月、中国中央政府の東北振興戦略に同調して黒龍江省人民政府が打ち出した地方レベルの開発戦略である。具体的には、黒龍江省の省都であるハルビンから石油生産基地である大慶、重工業都市チチハルなどの大都市とその周囲地域を高速交通体系で結び、産業が高度に集積された工業地帯として形成させる構想である。
長期目標としては2020年までの15年間で重度のアルカリ土壌である同地域の921平方キロを開発、5つの都市を軸とし、都市間の交通ルートを中心軸とする。
帯状に広がる哈大斉工業回廊構想は、海外マスコミからも「中国東北旧工業基地振興における重大な戦略配置」と報道され、黒龍江省の小康(ゆとりのある社会)社会を推進するための産業戦略である。
ERINAでは中国の国家政策である東北振興戦略について経過的に調査研究を重ねてきているが、今回はその一環として哈大斉工業回廊を直接訪問した。ここでは、重工業都市であるチチハルの訪問を通じて取材した国有企業のケースを取り上げることとしたい。
6月末近くともなると中国は東北部でも30度を超える真夏日が珍しくない。丹頂鶴の生息地として知られ「鶴城(鶴の市)」の異名を持つ黒龍江省チチハル市は北緯48度に位置しながらも大陸性亜寒帯気候のため夏は暑く、冬はマイナス30度まで下がる。
チチハルはダフール語で「辺境」、「天然牧場」の意味である。清朝の黒龍江将軍府と建国初期の黒龍江省の省都はここに設けられたことがある。地元の住民によると、地形的に坂が少なく、平野に街が広がっていることや国有企業が集中していて労働者員が多いため、チチハル市は省内でも自転車が多いことで有名な都市とのことである。
また、チチハル市は中国建国初期に建設された最初の工業基地で、確固とした工業基盤を持っている都市でもある。膨大な企業群の中でも、当時の周恩来総理から「国宝」と「掌上の玉」と呼ばれた第一大型(重型)機械工場、北満特殊鉄鋼工場、中国工作機械業界でもランキングに入るチチハル第一機床工場と第二機床工場、中国における最大の鉄道貨物車両製造メーカーであるチチハル車両工場、「和平」、「建華」、「華安」といったブランドで知られる軍需産業企業もチチハル経済の支柱となっている。
これらの企業の中で、今回はチチハル第二機床工場を訪問した。同工場は1950年に創立され、当時は旧ソ連からの対中支援プロジェクトの一つとして立ち上げられた。従業員はピーク時に3万人を超えたが、1990年代以後、レイオフを中心とした何回もの企業改革の試練を経て、現時点の従業員は4,000に減った。創立以来、関心を寄せた国家指導者も多く、毛沢東による同工場の模範労働者、馬恒昌の接見を始め、鄧小平、江沢民、そして現政権の国家主席である胡錦涛がそれぞれ訪問している。
2001年以来、中国政府による経済の国家マクロコントロールが奏効し、経済の好転によって、第二機床も再生の時期を迎えた。企業業績は今のところ5年間連続して成長基調を保ち続けている。従業員の給料水準も向上しており、一般の従業員で月額2,000元、技術者従業員は3,000元の給与を得ている。
増収増益によって従業員の勤労意欲も大いに高まっているとのことで、このような景況を維持するため同社では財産権制度の改革に着手した。チチハルには大規模な国有企業が8社あり同社の規模は下位に属しているが、株式制度と財産権制度の改革は最も早くから開始し、現状としては基本的に最終段階に入ったと言える。
具体的には国の優遇政策によって審査の上11億元の財政支出を許可された。企業もそれを条件に有限責任公司に変容し、傘下にあった子会社2社も本社の負担を軽減するためグループから手放し民営化された。
また、中国国家発展銀行による全国機床連盟も発足し、同社もそれによる融資を取り付けることができ、今後の発展のための大きな基盤整備ができたとしている。
国有企業の民営化と外資との提携について、中日双方のさまざまな場面において検討が繰り返されている。同社のケースでは1990年代の不況期には従業員への給料まで支払えないほどの体験をし、必死で外資との提携・買収による企業の再生を模索したが、頼みとする外資からは対応してもらえなかった。日本の大企業に対しても提携の打診をしたが断わられるなど辛酸を舐めたが、現在では中国国家発展銀行による支援と資金導入の結果、企業体質が改善され、自ら関心を表明する外資が増えている状況である。
工場内に設置されている各種設備は2,000台、その中には18メートル高の大型工作機械組立ショップを9ヵ所、大型設備運搬用160トン級のクレーン、面積4,000平方メートル
の恒温ショップと空調の付いた計量センターなどがあり、超大型・重型の工作機械、椴圧機械の生産が可能である。
現在、ドイツ、日本、イタリア、ロシアなどから関連技術を導入し、縦型デジタルフライス盤、横型デジタルフライス盤、椴圧機械など、200種類以上に及ぶ製品を世界40ヵ国へ輸出している。小型デジタル式工作機械の製造現場では、職場の従業員はおおむね300人だが専門的技術を有する従業員が60人しかおらず、他は全て補助従業員であり、連日2シフト制を敷いているがそれでも生産が間に合わない状況を見聞した。
最後に中国の経済発展において大きな関心事となっている省エネルギーの取組みに関して訊ねたところ、工場としては電気、燃料など多くのエネルギーを消耗しており、節約の一環としてこまめなスイッチの開閉などを提唱しているが、技術的にはまだ不十分で今後克服する必要がある、東北振興政策のプロジェクト指定によって、関連の経費が獲得できたことにより省エネの方面にも力を入れたいとの答えがあった。
宣伝はされているが意外と知られていない東北振興政策の実情と未来図がうかがえるような訪問だった(原文は[ERINA REPORT]2006vol.72掲載)。
図:チチハル第二機床(工作機械)工場の庭(構内に飾ってある写真は歴代中央指導者が当該工場を視察された様子)

2007年01月18日
幸運な二度目の客員研究員―ー ERINA客員研究員着任の感想
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
3月17日、飛行機が新潟空港に到着した瞬間、機内アナウンスの美しい声を聞きながら、「幸運な二度目の客員研究員」の機会を得、懐かしい日本にまた来ることができたという感慨が心の底から急速に湧きあがってきた。私にとってERINAでの客員研究員は、首を長くするようにずっと憧れ続けてきた夢であり、いままさにそれが実現したのだ。日本国内には、三菱総合研究所、大和総合研究所、日本総合研究所など知らぬ人のないほど有名な超一流のシンクタンクがある。日本の各分野のエリートから成るこれらの高級シンクタンクは、日本経済や社会の行方を予測し、その「脈を測って」おり、学術界の枢要を占める立場から、日本政府の決定をある程度左右できると考えてよい。ところで、筆者の目から見れば、これらに匹敵する地方の研究所が一つある。それどころではなく、ある面では、より大きな強みをもっているかもしれない。それは、新潟を中心とする北陸地方で活躍している環日本海経済研究所(ERINA)である。
成立当初、ERINAの名はあまり知られていなかった。しかし、短期間のうちに日本海沿岸の学術界の枢要、情報の中心となり、北陸地方と北東アジア地域諸国との政治、経済、文化面などでの交流の掛け橋として、日本海沿岸諸県の国際化を促進する有名地方シンクタンクへと変身した。東北・北陸12県市及び企業の出資により支えられたERINAは、今や地域振興と経済発展に貢献する総合的研究所として内外で活躍している。
1993年の設立当初から、ERINAは北東アジア地域の情報収集と現地調査に力を入れ、地方間の協力により当該地域の国際交流、さらに北東アジア圏の早期形成を促進し、国際貢献を目指している。十数年来、ERINAは地方企業への知的支援や、一年に一度周辺諸国の政官財界の人物が集まる「北東アジア経済会議」の開催、「ERINA REPORT」の出版、さらに具体的プロジェクトの提案や推進などに取り組んできた。情報提供・研究から政策提言・プロジェクト提案に至るまで、広範かつ多岐にわたる実験を試みてきたのである。
「山は高きに在らず、仙有れば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有れば則ち霊あり」という劉禹錫の「陋室銘」の中の名言の通り、見た目の規模は大きくないが、名声は北東アジアに馳せ渡り、日本の地方国際化や交流に貢献し、北海道と並び称される日本海側の交流拠点と位置付けられるERINA。私はかねてから、その独特の地位と研究成果に心惹かれていた。今回、東北三省社会科学院とERINAの学術協定に基づき、客員研究員という身分で着任したが、まったく「百聞は一見にしかず」、「一見は肌で感じるにしかず」の言葉通りだった。久しぶりに、親切さに感じ入り、また、視野を広げる感覚が体にしみわたる感じがした。2001年に京都大学で一年間の客員研究員生活を送ったが、研究所とは多少雰囲気が違った。今度の客員研究員生活は、新鮮感いっぱいのスタートとなった。まだ1ヶ月ではあるが、意欲や希望に満ちた日々を過ごしている。特に、北東アジア地域における多国間協力、そして経済圏の早期実現への強い願望については、眼前にその姿を現すようであり、ますますその魅力に惚れ込んでしまった。
ERINAの魅力はさまざまあるが、特に感じたことを三つ挙げたい。
国際的な職場環境
今まで20回以上の訪日で、いろいろな大学や研究所を見学した際に、外国人の姿を見ることは少なくなかった。しかし、ERINAほど国際化が進んだ研究所は初めての体験だ。研究所の構成だけ見れば、もはや「北東アジア大家庭」ではないかと錯覚するほど多国化している。日本人はもちろん、北東アジア地域に属するロシア、中国、韓国、モンゴルからの研究者が何人もいるほか、研究所の幹部になっているロシア人もいる。それぞれ違う国から来ていながら、北東アジアの地域協力を促進するという共同理念の下、お互いに国家間の偏見を捨て、本音をぶつけ合い、学術と実務提携の立場から協力するという雰囲気がそこにある。周囲の席から、違う言葉、違う国との電話の声が聞こえてくるたびに、もしかしてこれは国際化あるいは地域経済一体化が具現化した姿、はたまた未来の北東アジア・東アジア共同体の学術分野での縮図ではなかろうかと錯覚し、その世界に魅入られてしまうのである。
前向きかつ濃密な学術的雰囲気
こんなことは当たり前だと考える人もいよう。もともと、日本では怠け者を養うことはないのだと。とは言え、ERINAにおける学術的雰囲気には独特な面があることを紹介したい。一部の研究所では、研究内容の評価が難しいため、過大あるいは過小評価が世に広がってしまっている。それに対し、ERINAは北東アジア全体の研究を目指すと同時に、ロシアのエネルギー問題と中国の東北地区、特に東北振興策関連の研究を重視し、当該分野で相当な成果を挙げており、中ロ両国政府からも評価されている。ここ十数年、ERINAは「北東アジア経済白書」、「ERINA REPORT」など質の高い成果物を多数出版し、その多くは海外、特に中国東北地区で頻繁に引用され、引用率の高い雑誌として注目を集めている。吉田理事長のリーダーシップの下、ERINAは東北地区を始め各地に学術及び実務の両分野で膨大な人脈を持ち、国や省を跨る重要な会議やプロジェクトの運営にあたっては、かけがえのない掛け橋の働きを果たしている。
「半辺天」を占める女性の魅力
ERINAのもう一つの特色は、女性の研究員や事務スタッフの比率が高く、しかも勤勉であることだ。研究最前線、図書管理、パソコン保守など、それぞれの場で活躍している。女性が「花として飾られる」ことが多い日本にあって、ERINAの女性達は特別な存在であり、別風景の窓を開けたような気分にさせてくれる。それは、日本政府が推進する「男女共同参画」の主旨の現れであるとも言える。女性が持つ熱情、勤勉、優しさといったものの裏に決して隠れてしまうことがない冷静、知的、博学などの面に触れるたび感銘を受ける。同時に、少子高齢化の進む日本で、いかにして女性の智恵を活かして日本経済の振興と社会の進歩に結びつけるかという厳しい課題も痛感した。
4月は新しい年の開始にあたり、運よく歓送迎会に参加できた。名残惜しい別れの寂しさと新スタッフを受け入れる嬉しさが交わる雰囲気のなか、研究所もこれからの発展の再スタートとチャレンジの時期を迎えている。北東アジアの発展に微力ながら貢献し、研究所の各種資源を最大限発揮し、政官財各界と提携して、ERINAが日本海に昇りつつある朝日とともに新たな輝きを迎えることを確信している。
朱鷺メッセ12階にある研究所の明るい窓ガラスを通して、港の輝かしい夜景を楽しみながら、自分がこのグループの一員として溶け込んでいくことに誇りを感じている(原文は日本「東方時報」掲載)。
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
3月17日、飛行機が新潟空港に到着した瞬間、機内アナウンスの美しい声を聞きながら、「幸運な二度目の客員研究員」の機会を得、懐かしい日本にまた来ることができたという感慨が心の底から急速に湧きあがってきた。私にとってERINAでの客員研究員は、首を長くするようにずっと憧れ続けてきた夢であり、いままさにそれが実現したのだ。日本国内には、三菱総合研究所、大和総合研究所、日本総合研究所など知らぬ人のないほど有名な超一流のシンクタンクがある。日本の各分野のエリートから成るこれらの高級シンクタンクは、日本経済や社会の行方を予測し、その「脈を測って」おり、学術界の枢要を占める立場から、日本政府の決定をある程度左右できると考えてよい。ところで、筆者の目から見れば、これらに匹敵する地方の研究所が一つある。それどころではなく、ある面では、より大きな強みをもっているかもしれない。それは、新潟を中心とする北陸地方で活躍している環日本海経済研究所(ERINA)である。
成立当初、ERINAの名はあまり知られていなかった。しかし、短期間のうちに日本海沿岸の学術界の枢要、情報の中心となり、北陸地方と北東アジア地域諸国との政治、経済、文化面などでの交流の掛け橋として、日本海沿岸諸県の国際化を促進する有名地方シンクタンクへと変身した。東北・北陸12県市及び企業の出資により支えられたERINAは、今や地域振興と経済発展に貢献する総合的研究所として内外で活躍している。
1993年の設立当初から、ERINAは北東アジア地域の情報収集と現地調査に力を入れ、地方間の協力により当該地域の国際交流、さらに北東アジア圏の早期形成を促進し、国際貢献を目指している。十数年来、ERINAは地方企業への知的支援や、一年に一度周辺諸国の政官財界の人物が集まる「北東アジア経済会議」の開催、「ERINA REPORT」の出版、さらに具体的プロジェクトの提案や推進などに取り組んできた。情報提供・研究から政策提言・プロジェクト提案に至るまで、広範かつ多岐にわたる実験を試みてきたのである。
「山は高きに在らず、仙有れば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有れば則ち霊あり」という劉禹錫の「陋室銘」の中の名言の通り、見た目の規模は大きくないが、名声は北東アジアに馳せ渡り、日本の地方国際化や交流に貢献し、北海道と並び称される日本海側の交流拠点と位置付けられるERINA。私はかねてから、その独特の地位と研究成果に心惹かれていた。今回、東北三省社会科学院とERINAの学術協定に基づき、客員研究員という身分で着任したが、まったく「百聞は一見にしかず」、「一見は肌で感じるにしかず」の言葉通りだった。久しぶりに、親切さに感じ入り、また、視野を広げる感覚が体にしみわたる感じがした。2001年に京都大学で一年間の客員研究員生活を送ったが、研究所とは多少雰囲気が違った。今度の客員研究員生活は、新鮮感いっぱいのスタートとなった。まだ1ヶ月ではあるが、意欲や希望に満ちた日々を過ごしている。特に、北東アジア地域における多国間協力、そして経済圏の早期実現への強い願望については、眼前にその姿を現すようであり、ますますその魅力に惚れ込んでしまった。
ERINAの魅力はさまざまあるが、特に感じたことを三つ挙げたい。
国際的な職場環境
今まで20回以上の訪日で、いろいろな大学や研究所を見学した際に、外国人の姿を見ることは少なくなかった。しかし、ERINAほど国際化が進んだ研究所は初めての体験だ。研究所の構成だけ見れば、もはや「北東アジア大家庭」ではないかと錯覚するほど多国化している。日本人はもちろん、北東アジア地域に属するロシア、中国、韓国、モンゴルからの研究者が何人もいるほか、研究所の幹部になっているロシア人もいる。それぞれ違う国から来ていながら、北東アジアの地域協力を促進するという共同理念の下、お互いに国家間の偏見を捨て、本音をぶつけ合い、学術と実務提携の立場から協力するという雰囲気がそこにある。周囲の席から、違う言葉、違う国との電話の声が聞こえてくるたびに、もしかしてこれは国際化あるいは地域経済一体化が具現化した姿、はたまた未来の北東アジア・東アジア共同体の学術分野での縮図ではなかろうかと錯覚し、その世界に魅入られてしまうのである。
前向きかつ濃密な学術的雰囲気
こんなことは当たり前だと考える人もいよう。もともと、日本では怠け者を養うことはないのだと。とは言え、ERINAにおける学術的雰囲気には独特な面があることを紹介したい。一部の研究所では、研究内容の評価が難しいため、過大あるいは過小評価が世に広がってしまっている。それに対し、ERINAは北東アジア全体の研究を目指すと同時に、ロシアのエネルギー問題と中国の東北地区、特に東北振興策関連の研究を重視し、当該分野で相当な成果を挙げており、中ロ両国政府からも評価されている。ここ十数年、ERINAは「北東アジア経済白書」、「ERINA REPORT」など質の高い成果物を多数出版し、その多くは海外、特に中国東北地区で頻繁に引用され、引用率の高い雑誌として注目を集めている。吉田理事長のリーダーシップの下、ERINAは東北地区を始め各地に学術及び実務の両分野で膨大な人脈を持ち、国や省を跨る重要な会議やプロジェクトの運営にあたっては、かけがえのない掛け橋の働きを果たしている。
「半辺天」を占める女性の魅力
ERINAのもう一つの特色は、女性の研究員や事務スタッフの比率が高く、しかも勤勉であることだ。研究最前線、図書管理、パソコン保守など、それぞれの場で活躍している。女性が「花として飾られる」ことが多い日本にあって、ERINAの女性達は特別な存在であり、別風景の窓を開けたような気分にさせてくれる。それは、日本政府が推進する「男女共同参画」の主旨の現れであるとも言える。女性が持つ熱情、勤勉、優しさといったものの裏に決して隠れてしまうことがない冷静、知的、博学などの面に触れるたび感銘を受ける。同時に、少子高齢化の進む日本で、いかにして女性の智恵を活かして日本経済の振興と社会の進歩に結びつけるかという厳しい課題も痛感した。
4月は新しい年の開始にあたり、運よく歓送迎会に参加できた。名残惜しい別れの寂しさと新スタッフを受け入れる嬉しさが交わる雰囲気のなか、研究所もこれからの発展の再スタートとチャレンジの時期を迎えている。北東アジアの発展に微力ながら貢献し、研究所の各種資源を最大限発揮し、政官財各界と提携して、ERINAが日本海に昇りつつある朝日とともに新たな輝きを迎えることを確信している。
朱鷺メッセ12階にある研究所の明るい窓ガラスを通して、港の輝かしい夜景を楽しみながら、自分がこのグループの一員として溶け込んでいくことに誇りを感じている(原文は日本「東方時報」掲載)。
2007年01月18日
図們江地域への投資を牽引する小島衣料
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
6月22~24日、図們江地域開発の中心地・吉林省琿春を視察した。日頃、黒龍江省社会科学院で勤務する筆者にとっては、ERINAの客員研究員に迎えられて実現した初めての訪問であった。中国の地図を見ても目立たず、東北にポツンとある小さい都市は、自ら足を伸ばし肌で感じてみると、活気とポテンシャルに満ち、辺境の町とは思われないほど魅力ある貿易の町でもあった。
僅か2日間の滞在だったが、琿春市政府の周到な手配で、まず同市の主要税関と「東方における第一の村」防川を見学した。「一目で三国を望め、犬の遠吠えが三国の辺境に伝わる」と言われる防川、ロシア向けの長嶺子税関、北朝鮮向けの圏河税関など、琿春の地政学的な優位性をうかがい知ることができた。しかし、琿春に最も筆者を引き寄せたのは、日本で目にした記事であった。それは、小島衣料が琿春へ進出、新たな日系投資のさざなみが起き、図們江地域開発ブームが再燃するかもしれない、という主旨であった。
小島衣料は、1952年に創業し、1979年に現在の株式会社としてスタートした。1991年、中国の湖北省黄石での美島服装有限会社の設立を契機として、小島衣料は大きな変貌を迎えた。二代目社長の小島正憲氏が、労働集約型の企業としてコストの高い日本における成功の可能性はゼロに近いと判断し、中国など新興地域への移転を加速する新たな戦略を打ち出した。黄石での合弁成功に次いで、上海美旭時装有限公司、上海桜島時装設計有限公司、友島上海紡績品有限公司、上海偉馳諮詢有限公司、株式会社ウィズビジネスサポートを設立した。
さらに筆者の目を引いたのが、2005年末の図們江地域における現地法人と系列工場の設立投資案件だった。地元の中国マス・メディアが東北振興政策の進展と外資の北上の兆しとして取り上げ、NHKなど日本のメディアも大きく報道した。報道では、同社が琿春の地政的な優位性、安価な土地と労働力に着目し、特に地元の日本語人材の存在を重視していると伝えている。「琿春は将来、大連と肩を並べ、中国東北地域のもっとも発展できる都市だ」と小島社長が自らそのポテンシャルを語っている。
琿春市辺境経済合作区2号区創業大街合作区にある標準工場群の小島衣料の現地工場を訪れた。工場に入ると、電話とFAXが鳴り続いている。入り口にある対外担当、事務、総務などのエリアの向こうに、職場の清潔で整然とした従業員の作業場面が目に入る。日本留学の経験を持ち、琿春市の外資系企業誘致局長を兼任している全成哲総経理の紹介によると、第1期の総投資額は150万ドル。5つの工場を開設する予定で、すでにそのうち3工場がオープンし、4番目の建設も着手し始めたところである。すべてが完成すると、生産・加工能力は年間120万枚の規模となる。現在の従業員数は367名である。
(写真1)小島衣料琿春工場の玄関
琿春のポテンシャルを望みながら、同社は琿春-ザルビノ-新潟を結ぶ日本海横断航路にも格別の関心と期待を寄せている。「わが社にとっては納期と物流がとても重要だ。物流は速さ。現在、完成品は大連経由で日本に送っているが、図們江輸送ルートが開通すれば、4~5日かかっているものを1~2日まで短縮できる。日本だけでなく、欧米への転送も早くなるはずだ」。図們江輸送ルートを巡る第2回琿春シンポジウムで小島社長はこう発言した。図們江輸送回廊が開通次第、第2期500万ドルの追加投資を行い、従業員3,000人、年間生産能力600万枚の規模を目指すという。
琿春へは韓国、日本、ロシアなど北東アジア周辺国を中心に外資が参入している。地元の朝鮮族の労働力と人材優勢を狙って韓国企業が24社進出し、日本企業は韓国に次いで12社が参入した(表1)。「小島衣料の投資は象徴的なものだ。今度この地を訪問するときには、中ロ朝三国国境地域の内陸物流と港湾地域開発プロジェクトの実施によって、図們江ルートは(ちいさな)堀も大きな道に変わっていることだろう」と、古い友達でもある琿春市の蔡旭陽副市長は近い将来の琿春市の対外合作を語った(原文は[ERINA REPORT]2006vol.72掲載)。
図:小島衣料琿春工場の内部の様子

2007年01月18日
節約型社会の構築は日本から学ぼう
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
5月31日、日本の経済産業省は「新国家エネルギー戦略」を打ち出した。2030年までに日本はエネルギー利用効率をさらに30%改善し、石油依存度を現在の50%から40%以下にし、発電量に占める原子力発電の比率を30~40%程度以上にし、自主開発石油の輸入を現在の15%から40%程度に上げるなど、5つの数値目標を戦略の中核としてまとめた。国際石油価格の高騰が長期化する中で、エネルギーの安全保障と環境保護・節約型社会との一体化の兆しがうかがえる。実現すれば、日本自身だけでなく世界のエネルギー問題への貢献が期待できる。同時に、エネルギー需要の急増に伴う中国の資源有効利用への不安がよぎった。
中国経済の著しい発展は世界的な注目を浴びている。一方、経済発展を制限する資源の減少やエネルギーの浪費による効率低下などの問題も目立ち始め、2002年からの南部地域の電力危機、全国的な石炭・石油供給の逼迫など、経済発展と資源確保の両立が迫られている。日本市場で9割を占める中国産の割り箸を例にとると、中国の割り箸の年間消費量450億膳だけで、2,500万本もの大木が伐採された数に相当する。資源が減少し、その有効利用が求められる中国において、環境に優しい資源節約型社会の構築が中国新五カ年計画の重要な柱となり、資源を狙った対外投資が急増し始めるのは、こうした背景があると考えられる。
エネルギー資源の節約型社会を目指し、中国では中央から地方まで、省エネを始めグリーンエネルギーやエコ関連の強制標準及び節約条例を準備し、続々登場させる動きが出始めた。その効果が現れるまでにはまだ時間の検証が必要だが、現段階では、強制的な条例より日常生活から節約の意識を喚起し、節約の潜在力を引き出す方がより効果的であろう。
この点で、われわれの手本になりうる日本での経験について触れたい。燃えるゴミと燃えないゴミなど、系列的なゴミの分別処理とリサイクルはもちろんだが、われわれには奇妙にも映るエネルギー節約の発想が、小池百合子環境大臣の発案で昨年始まった「クールビズ」と「ウォームビズ」だ。夏の軽装と冬の厚着の断行で、公務員やサラリーマンの士気や業務効率が上がっただけでなく、天文学的数字に上る冷暖房エネルギーを官公庁、会社、各家庭で節約し、環境にやさしい省エネに繋げた。こうしたプラス面の反面、礼儀至上主義の一部の日本人には、ノーネクタイ・ノースーツは失礼に当たると思われがちだ。「地球温暖化防止通勤中、軽装で失礼します」、「地球温暖化対策実践中、ノーネクタイ・ノースーツで失礼します」のようなクールビズ奨励バッジが彼らの気持ちを和らげ、新しいビジネスとしても期待されている。
調査によると、70%以上の国民が軽装の「クールビズ」と厚着の「ウォームビズ」の継続実施に賛成し、固定化させようという声も出ている。また最近では、韓国の経験を参考に、使い捨てコップの代わりにマグやガラスコップを使えば20円引きというコーヒーショップも日本に現れ、資源節約と環境保護を一体化する意識がスモールビジネスにも浸透してきていることを感じさせる。このように節約の発想を日常生活に浸透させ、国の政策にも影響するほど広く認識させた結果、世界的な流行語「もったいない/Mottainai」に変貌していく。節約型社会の構築に関して、東の隣人はわれわれにすばらしい手本を作ってくれた。
新潟県は建設業の企業数・従業者数の占める割合が高い県の一つだが、その背景には克雪・克寒のための建築技術の要請があり、その中で自然エネルギーを利用したり、資源を有効利用したりするための工夫も重ねている。外壁、屋根、床、窓の断熱、自然採光と通風、水資源有効利用、照明エネルギーの最小限利用などの技術は、中国で最も寒く、エネルギー消耗の多い黒龍江省との相互補完も可能で、提携すれば何らかのビジネスチャンスに繋がるとものと予想される。
5月29日、東京で開催された「日中省エネルギー・環境総合フォーラム」には、打開策がなく低迷している中日関係の中で大きな期待が寄せられた。その成果を踏まえ、凍結解除された2005年度の対中ODAを大気汚染と省エネに集中して行うことができれば、機運が高まる中日省エネ協力、さらには地方経済の相互補完と活性化に貢献することができよう。このことが双方の国民感情を回復し、友好を深め、中日地方間の協力プロジェクトとして市民の間にも恩恵が及ぶ試みになるであろうと、本コラムを通じて大いにPRしたい(原文は[ERINA REPORT]2006vol.71掲載)。
2007年01月18日
長春の日系自動車工場-トヨタ長春工場を中心に-
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
東北三省で緑の最も多い都市・長春は、トウモロコシと大豆の都市として全国に知れ渡るだけでなく、光電子や自動車産業も有名だ。特に自動車産業は長春市の基幹産業となり、2003年の自動車関連工業生産高1,200億元は、同市の一定規模工業値全体の80%を占めている。自動車産業関連従業員は15万人、国内自動車販売のシェアが14.6%で、700社が3,000種以上の部品を製造しており、自動車開発、生産、販売の中心となりつつある。東北三省における長春市の自動車産業の優勢が顕著であり、特に東北振興政策を遂行する過程で、長春市の自動車産業を発展させることはすでに吉林省政府の戦略的な配置となっている。
長春にある中国第一汽車集団公司(一汽/FAW)は、中国自動車業界の中でも最大規模で最多車種を揃える生産・開発基地であり、生産量も中国全体の5分の1を占めている。今後4年間で、同公司は年間生産200万台、内120万台を長春及び周辺で製造し、長春は世界5位の自動車生産都市となると見込んでいる。
さすがは自動車都市、長春では至る所に自動車、自動車関連の合弁、独資外資系企業が並んでいる。2006年5月、長春で開催された「日中経済協力会議-於吉林」に参加して、半年ぶりの長春にこのような印象を持ち、その後、現地の吉林大学の友人の斡旋で、長春に進出したいくつかの日系自動車工場を見学して、そのイメージをさらに深くした。
5月24日、吉林大学東北アジア研究院政治学研究所副所長の沈海涛氏の手配で、私たちは一汽とトヨタ自動車が合弁で創設した一汽豊田(長春)発動機有限公司と長春豊越公司を見学した。また、この見学の前には、会議の手配で日中東北開発協会訪中団とともに、長春経済技術開発区にある光洋精工、伊藤忠商事、一汽富奥汽車零部件有限公司が提携する一汽光洋転向装置有限公司を見学した。
一汽光洋は1996年12月創設、資本金1,400万ドル、総投資額2,995万ドルで、中日双方がそれぞれ50%を出資した。1997年12月に工場が竣工し、翌年8月に開業式を行ったが、2002年にはさらに40%増築した。現在の従業員数は285人。主要製品は乗用車用のトランスミッション及びステアリングで、年間生産量は32万セット。主にFAW、FAW-VW、東風自動車、天津一汽などの自動車メーカーに部品を提供する。清潔な職場、真剣に作業している従業員、日本式管理など、すばらしい面を見学で確認できた。
一汽豊田(長春)発動機公司の工場も長春経済技術開発区内にあり、広々としたエリアは衝撃的でさえある。案内役の孫守貴・総務課長の紹介によると、同工場の敷地面積は297,995平方メートルで、事務所、工場、鋳造エリアを分けるほか、6万平方メートルの部品供給のアルミ工場と13万平方メートルの空地(5年以内で開発予定)を持っている。該当工場は一汽とトヨタの間で2002年に締結した戦略的な合意によるもので、総投資額15億元、主要製品は新型V6エンジンであり、年生産能力13万台で、合弁期限は30年となっている。工場は2003年9月1日に着工し、2003年12月29日に中国国家発展改革委員会による認可を得て、2004年3月25日に会社が正式に成立し、2004年12月17日にV6エンジンのラインオフが行われた。このような流れから判断すると、この投資は典型的な「事実婚」であり、政治的な要素が大きい。さらに聞くと、当時の吉林省政府と長春市政府は、生産量世界2位、業界一の効率性、管理技術に優れたトヨタをどうしても誘致するため、他省に提携プロジェクトを移さないように長春に本社のある一汽に圧力をかけたということがあったそうだ。
周辺の環境、労働力の資質、物流などの面から考えると、長春は理想的な選択肢とは言えない。コストコントロールを考えても、天津一汽豊田や広州豊田とは大きな距離がある。しかし、長春市政府は全力で700戸余りの農家を移転し、土地整備費を一切請求しなかった。また、部品供給面で日本側の不安を払拭し、生産を優先して手続きを後にするなど、諸条件で最大限の優遇政策を提供した。
トヨタの投資は開発区及び市政府のバックアップを得て、工場の主体建物は一年で竣工し、設備施工を経て一年半でオープンした。2004年末のエンジン生産ラインオフ後、2005年7月から8月にかけて、正式生産が始まった。2005年販売台数は45,000台余り、販売額は20億元で、利益は3,800万元となった。2006年は生産9万台、利益8,000万元になる見込みである。2~3年の過渡期を経て黒字が出る普通の自動車エンジン工場と違い、一汽豊田の長春工場はすぐに黒字になる珍しいケースと言える。これは一汽本社、四川トヨタ本社、在中国トヨタ各社の販売マーケット戦略の奏功と考えられる。コスト管理と削減により、同社は12億5,000万元の経費予算の内11億5,000万元しか使わず、ちょうど1億元を節約した。
案内役の孫総務課長によると、同社は製造部、管理部、財務部、総務部と人事課、生産課、総務課など4部10課を設置している。トヨタ側は駐在員を8人派遣し、それぞれ製造部長、管理部長など重要なポストに就かせている。一汽側は11人の管理職を出した。2006年3月時点で従業員数は755人、その内、製造部、技術部、管理部がそれぞれ583人、76人、70人であり、同社の製造と技術の実力と重要性が際立っている。販売好調のため2005年10月から2シフト生産体制に変わり、1日約400台、月に約8,000台のエンジンを生産する。
トヨタの新型V6エンジンは環境に優しく、二酸化炭素の排出基準もユーロIVレベルを満たしている。専有技術であるVVT技術を導入し、軽くて騒音と燃料消費の低いメリットを持っている。こうしたハイテクエンジンの工場だが、職場全体を見渡すと、トヨタの日本国内の自動化された職場と少し違っている。現地の安い人件費と中国国情を配慮し、市場の変化と顧客のニーズに応じた多品種、小規模の方針を導入しながら、必ずしも自動化にこだわってはいないということが印象的だった。現在、同社の製品は主にクラウン(皇冠)2.5L、同3.0L、レイツ(鋭志/マークX)、大赤旗(HG3)3.0Lに提供しているが、また別の型に提供する可能性がある。完成車は3年余りで淘汰されるが、エンジンは10年ごとに更新される。トヨタは心臓であるエンジンから周辺部品まで、改善と更新の努力を続けている。
今後の発展に関して、一汽豊田(長春)発動機有限公司は、従業員の力を合わせることを重視する一方、基礎からスタッフの養成にも力を注ぐ。トヨタの企業管理パターンを導入するなど、管理過程に日本の企業文化を融合している。しかし、雇用の多様化に伴い人員流動化の問題にも直面している。例えば、天津一汽豊田工場は欧米系の自動車会社より給与が安いため、一部の人員が引き抜かれた。天津と広州豊田では中堅スタッフの引き抜きも問題となったこともある。一汽豊田(長春)には従業員の引き抜きはあっても中堅スタッフの辞職はめったにない。しかし今後の課題として重視する必要があろう。人材養成として、同社は従業員へのエンジン組立技能訓練のほかに、日本を始め国内外への研修を実施し、2005年までに113人が日本、瀋陽、大連などで研修を重ねている。
東北振興の進展による外資進出をめぐり、孫課長は自分なりの見解を説明してくれた。それによると、現在、中国中央政府は自動車関連のプロジェクトに対して15億元の最低投資制限を打ち出しただけでなく、ハイテク技術の有無も要求されている。一汽はトヨタとの合作を進めるため、巨額の一汽豊田天津の合弁を辞さなった。それによりトヨタと運命共同体となり、次の大きなプロジェクトの土台を築いた。それを促すために長春市政府は特別の優遇政策と誠心誠意の誘致運動を行った。一汽豊田(長春)発動機の早期着工、無事操業は、地元各級政府の積極的な姿勢が実を結んだものと評価された。
長春豊越公司では、完成車の明るい光景が目に入った。開発区にあるエンジン工場と違って、同社は一汽本社2号門の入り口近くに位置し、自動車工場の中にある自動車会社のイメージが強い。同社の前身は2003年創立した長春一汽豊越汽車有限会社。同社は2005年7月、四川豊田汽車有限公司の資産購入によって双方それぞれ50%の株を持つ四川一汽豊田汽車有限公司(SFTM)が設立され、その子会社となった。従業員は400人余り。同社はSUV・ランドクルーザー10,000台、ハイブリッドカー・プリウス3,000台の年間生産能力を持ち、稼動以来、すでにランドクルーザー10,000台余りを生産した。
熱心に案内してくれた同社の畢文鋒・人事課長によると、プリウスはトヨタの最新技術を結集した新鋭車種で、価格はまだ中の上だが、中国市民の消費能力の増加によってさまざまなメリットを享受できることになろう。日本の友人の話では、プリウスの海外生産は初めで、工場見学もなかなか難しいとのことであり、今回の見学とヒアリングは収穫が大きかった。
最近の報道によると、低燃費のハイブリッドカーがガソリン価格上昇を背景に世界で需要を伸ばし、増産に動いている。主力のプリウスの5割増産を始め、2010年代初頭にはハイブリッドカーの生産を100万台まで増やす計画を打ち出した。また中国では現地生産システムの進化など日本国内では出来ない変革が起き、トヨタの海外自動車生産・販売の新たな展開を牽引するものと注目されている。畢課長の勧めもあってか、一日も早くプリウスを入手するのが筆者の新たな夢となっている。
トヨタを始め日系企業の長春投資を考察すると、旧工業基地の振興策の実施、及び各省独自の地域発展戦略によって、外資の中国における北上スピードが加速され、東北への認識も次第に深まってきたのが分かる。外資の進出により、東北地域における自動車産業や設備製造業、石油化学などにおける優位性も次第に顕在化してくるであろう。長春が自動車産業を増大・増強させるのは歴史の必然であり、交通・運輸・設備製造工業体系を構築するとことはもちろん、国際的な自動車都市であるデトロイトに学び、長春はさらに走行機械工業基地を構築し、自動車工業の優位性を強化する必要があろう。V6エンジン工場、ランドクルーザー、プリウス、光洋ステアリングシステムなど、日系自動車企業の相次ぐ進出でこうした明るいビジョンが描かれていくことを、中国東北出身の一研究者として大いに期待している(原文は[ERINA REPORT]2007vol.73掲載)。
図:プリウスの説明用車両
