2007年01月18日
中国ハルビンの飲食事情雑感
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
魅力の都市、独特な食事特徴
ご存知のように、黒龍江省と新潟県、ハルビン市と新潟市はそれぞれ1983年と1979年に友好都市関係を結びまして、両地域の経済・貿易往来もそれによって著しい発展を成し遂げました。黒龍江省の省都として、ハルビンは中国の東北部に位置し、歴史も悠久で、人口が多くて、市内だけでは394万人であります。また、中国の「金」、「清」政権の発祥地としても内外に知られています。ハルビン市は19世紀の中東(東清)鉄道の敷設によって次第に近現代的な都市に変貌したのであります。
現在、ハルビン市は中国における省管轄市の中の一番面積の大きいそして人口の多い市としてすでに黒龍江省の政治や経済、文化、科学技術及び交通の中心となりつつあります。
北東アジア交流の立場から見ると、ハルビン市は北東アジアの中心に位置され、「ユーラシア大陸ブリッジの真珠」と誉められ、帝政ロシアの100年余りの統治を受けられた影響で、町の至るところにヨーロッパ風とロシア風の建物が見られ、「中国の都市建築の博物館」と呼ばれ、「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」として人々に親しまれています。
ハルビンと新潟がまた良く似ている点もあります、どちらも義理人情を重視し、寛容さを持っている地域性が目立っている。そのためか、ハルビンでは離婚率がとても低いのです。新潟も低いと聞いていますが、日本では来年四月に実施が予定されている夫妻年金分割制度がスタートしたら,ひょっとして高くなるかも知れませんね。それから新潟美人というのを聞きますが,中国にはハルビン出身の有名なモデルが多いのです。美人の多いところもハルビンとよく似ていますね。美人を観光PRに活用すればイメージアップのアピール効果が出てくるでしょう。
以上の歴史と現実の影響を受けて、ハルビンの飲食文化は多様多彩であります。千何百年来の「金」、「元」時代の飲食文化の蓄積だけでなく、近現代における内外との飲食の交流もあります。地元で生まれ育った「黒龍江省の料理」のほかに、南方の「広東料理」、「山東料理」、「四川料理」などがあります。また、ロシア、フランス、イタリア料理などもあります。以上の飲食を提供するために一流ホテルの中にある高級レストランだけでなく、古い歴史を持つ老舗やモダンな現代的な食堂、世界の特色を吸収するいろんなレベルの違うレストランがあります。近年、各種の飲食チェーン店の経営や、香港と台湾系の喫茶店、コーヒーショップなどが多くあります。これらはハルビンの食の花を一気に咲かせる状況を作り出し,飲食も時運に応じて新たな形態が現われました。一口でハルビン市の飲食特徴をまとめて言えば、「素朴の中にすっきりしていて、豪放の中にも精華を持っている」ということではないかと思います。
ハルビン人の飲食は百家(たくさんの人)の長所を吸収し受け入れた一方で、寒い天候の変化に応じ冷凍食品と生鮮食事を代表とするこの地方独自の料理系列を作り出しました。それは地元の肉、魚、乳製品、野菜、豆、青果などを素材として、冷凍、塩漬け、焼き、炒め、揚げ、煮込み、燻製、餡かけなど独特な調理法で前菜、熱い料理、デザートなどを完成させます。「酸っぱい白菜と春雨の炒めもの」、「高菜と豆腐の煮込みもの」、「豚の腸と白い肉のスープ」などがその中の名物であります。その他に、地方の名物宴会もあり、割合良く知られているのは「ハルビン飛龍,これは(鳥の名前です)宴」、「ノロ(これは鹿の一種です)の宴」、「羊の丸焼き宴」、「魚の宴」、「鹿肉の宴」などであります。歴史上にはもっとも評判の高い「満漢全席(これは満州族の食事です)」もハルビン氷雪飲食の欠かせないメイン・ディッシュであります。
中国では「酒なしは席にならん」という諺があって,ハルビンの独特な食風土は食事ごとに酒を飲む習慣があります。酒も地元の原料で醸造し、またアルコール度数の高い酒が歓迎されます。「北大倉」、「大高粱」、「玉泉」など地元で知名度の高い酒があります。同時に、欧米特にロシア式の飲食風習の影響を受けて、ハルビン人はビールを飲むのが大好きで、女性を含む底なしの人が大勢います。ハルビン人のビール飲みはまったく水田を灌漑するようなものであるとの描写もあるくらいです。割合有名なビールメーカは「ハルビンビール」、「新三星」、「太陽島」であります。
ハルビン市に飲食企業は一万軒前後ありますが、営業面積が300平米以上で同時に100人を収容できる中型の店が3000軒ぐらいあります。各店は地元の食材を最優先しながら、南部の食材を北の調理法で処理する一方、中華料理と西洋料理の折衷を行い,北京料理、山東料理、四川料理、広東料理、蘇州料理、湖南料理、西洋料理など食の花が咲き乱れるような競争局面を形成しております。そのような競争によって、ハルビン人の食への要求を満足させるだけでなく、各地食文化の融合によりハルビンのグルメ天堂の位置を固め、ハルビンの飲食業界の更なる競争を促しました。
飲食業界の競争
あるデータによりますと、中国における飲食店舗はすでに374万軒あるとされており,平均すると中国では人口350人に一店舗の割合になります。ですが、190万軒の朝の軽い食事を提供する店舗と100万軒の簡単な食事を提供する小型店舗を除いたら、飲食基準がだんだん高くなっている市民の要求を満足させる店舗はまだ足りない状況であります。また、激しい競争によって短期間で多くの店舗が開業しますが、閉店ないし倒産するという悪性循環も目立ち、いかにして競争に打ち勝っていくかはこれからの飲食企業が直面しなければならない課題であります。
山東からの移民が多いためかも分かりませんが、ハルビンの市民の殆どは饅頭、肉饅頭、餃子、饂飩などが大好きで、中国では小麦粉を使った料理を麺類と言いますが,これらの麺類は飲食生活の中に欠かせない部分となります。特に餃子はこの麺類の中の極上品と誉められ、昔の大晦日とお客さんを招待する以外になかなか食べられない上等のものでありました。現在は、生活水準のアップによって餃子はすでに貴族の身分から極普通の市民の家でも食することができるようになり,人々に喜ばれ,また歓迎される大衆食品となりましたが、旧暦の大晦日と週末に餃子を食べる習慣は今まで受け継ぎ続けています。
近年、飲食を含む食品産業はすでにハルビン市の主要産業となり、関連の投資が増加しています。ハルビン市への外資系企業の進出について,食品やこれと密接な関係を持つ飲食業が期待されています。また、市民収入の増加と生活レベルの高くなっていることによって外食の機会も増えています。今、ハルビンにおける一つの家庭の平均外食はすでに月一回から周一回にアップし、伝統的な大晦日の夕食さえもレストランにシフトする市民も増えつつあります。これらはいろいろな面からハルビン市の飲食業の発展と競争を刺激したと考えられます。現在、ハルビンの飲食業はすでに新しい勢力として地元「風野料理がムードに現われて、」南方飲食ブランドがチャンスを攻め取り、外資飲食ブランドがどんどん進出しているという大競争の時代を迎えています。
日本企業のハルビン進出に関する提言
日本企業の中国市場進出についてはビジネスチャンスがあるかどうかの議論はもう必要がないと思います。有る資料の統計によりますと、2005年における中国の飲食業は著しく発展し,市場の規模も増大していて、1978年と比べて159倍の壮大となります。その中に特に強調したいのは三つあります。一つ目は中国人の平均飲食消費が増加していて、その趨勢もさらに加速しているということ。二つ目は外資系飲食企業の進入スピードが加速されて規模も大型化となっていることです。三つ目は飲食市場の規模化とブランド化がどんどん進められていることです。
下記の数字を挙げたいですが、2005年における中国飲食業界の総売上は8806億元,1兆3,200億円で、前年より16.8%増長しまして、15年連続の増長でした。去年度、飲食業が国に収める税金は484億元,7,260億円でした。飲食業界の外資進入も目立っています。2006年前半だけで外資利用額は1.3億ドルとなり去年より3.6%増長しました。世界的に有名な10大ファストフードブランド飲食企業の中に、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、ピザハット、ディコス、カフェドコラル、永和世界豆浆大王など八社がすでに中国に進出している。ケンタッキは2005年における中国飲食業の売上トップとなり、ファストフードの中華本土料理への衝撃をも伺えます。
ハルビンに進出している日系資本は、三菱自動車と東北軽合金公司の自動車エンジン項目が注目されていますが、日系食品企業と飲食企業の進出も市民の話題となります。日本でも有名な森永乳品のハルビン工場はすでに黒字に転じ、北隆食品会社も日本輸出の厚生労働省の許可を得られ日本への輸出をチャレンジしている。
麺類の代表であるラーメンを挙げますと、ハルビン桜木ラーメン、和風ラーメン、博多ラーメンの次に、今年の7月に新潟県上越市にある「源建設」と言う会社がハルビンでの最初の上越風のラーメン店をオープンさせて、市民の歓迎を得られうまくいっているそうです。歴史から見るとハルビン市と日本の間に切っても切れない関係と持っていたが、開放的で且つ受容性の強いハルビン市民はそのため日本の食事及び文化を拒否することはまずないと思います。逆に日本料理はハルビンでの収益空間が大きく、努力すれば成功の概率も高いと、これは私の率直的な考えです。
中国の東北地域に進出している新潟県内の企業はもう数十社に及びますがで、その中でも大連への進出が20社で圧倒的に多いです。今後はハルビンまでに北上すればいろいろなビジネスチャンスが出てくるでしょうね。
もちろん、新潟の食品及び飲食企業の中国進出は必ず成功できると思いません。特に中国北部の飲食分野へ進出しようと思われる日系企業にとっては、幾つかの注意点を心がけなければならなりません。
まずハルビンメリットとしては商圏が広くて人口も多いことが挙げられます。市内人口394万のほかに、周辺の消費人口を合わせて900万を超える商圏となります。そして、黒龍江省の省都で、飲食業と観光業の発展が特に重視されていて、飲食業の経済への波及効果も大きい。また、市民の消費レベルが高くて、外食の意欲が旺盛であります。ハルビンで行われる冬の氷祭りは有名で、夏季の避暑地観光など観光資源が豊かで、毎年6月に開催される「ハルビン商談会」など国家と地方レベルの盛会が多いです。ただし,以上の優勢に大してマイナスの面も無視できないと考えます。
まず、食品と飲食業界は値上がりが続く農産物値段の高騰に非常に敏感になっています。いかにして投資と経営のコストをコントロールできるかは永遠の課題で、特に日本企業の場合、食材の調達ルートを重視していますね。
その次に、日本企業が持っている先端技術をいかにしてハルビンの風土に結びつけ現地で消化し,合理的に吸収していくかの問題であります。台湾の旺旺食品集団と新潟岩塚製菓株式会社との技術開発と市場開拓野分担合作の成功例は良い参考となれると痛感しております。
第三、飲食は地域と民族習慣に深く関わってきます。いかにして日本料理或いは食品が中国人に受け入れられるのか。これも時間のかかる試練だと思います。上海の味千ラーメン、大連の王将餃子などの成功は粘り強い努力の段階を体験しましたね。
最後、強調したいのは、日系企業の中国投資と中国企業の日本投資は経済の相互依存の加速によって生まれた現象で、WIN-WINの結果だと理解してほしい。
一研究者として、新潟における食品ないし飲食企業のハルビン投資を歓迎し深く期待しております。日本飲食文化の進出は、中日友好を促し国民レベルの感情を理解し,多くの交流を促進する何よりの手段だと思います。
図:ハルビン最も有名な餃子チェーン店の「東方餃子王」本部

魅力の都市、独特な食事特徴
ご存知のように、黒龍江省と新潟県、ハルビン市と新潟市はそれぞれ1983年と1979年に友好都市関係を結びまして、両地域の経済・貿易往来もそれによって著しい発展を成し遂げました。黒龍江省の省都として、ハルビンは中国の東北部に位置し、歴史も悠久で、人口が多くて、市内だけでは394万人であります。また、中国の「金」、「清」政権の発祥地としても内外に知られています。ハルビン市は19世紀の中東(東清)鉄道の敷設によって次第に近現代的な都市に変貌したのであります。
現在、ハルビン市は中国における省管轄市の中の一番面積の大きいそして人口の多い市としてすでに黒龍江省の政治や経済、文化、科学技術及び交通の中心となりつつあります。
北東アジア交流の立場から見ると、ハルビン市は北東アジアの中心に位置され、「ユーラシア大陸ブリッジの真珠」と誉められ、帝政ロシアの100年余りの統治を受けられた影響で、町の至るところにヨーロッパ風とロシア風の建物が見られ、「中国の都市建築の博物館」と呼ばれ、「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」として人々に親しまれています。
ハルビンと新潟がまた良く似ている点もあります、どちらも義理人情を重視し、寛容さを持っている地域性が目立っている。そのためか、ハルビンでは離婚率がとても低いのです。新潟も低いと聞いていますが、日本では来年四月に実施が予定されている夫妻年金分割制度がスタートしたら,ひょっとして高くなるかも知れませんね。それから新潟美人というのを聞きますが,中国にはハルビン出身の有名なモデルが多いのです。美人の多いところもハルビンとよく似ていますね。美人を観光PRに活用すればイメージアップのアピール効果が出てくるでしょう。
以上の歴史と現実の影響を受けて、ハルビンの飲食文化は多様多彩であります。千何百年来の「金」、「元」時代の飲食文化の蓄積だけでなく、近現代における内外との飲食の交流もあります。地元で生まれ育った「黒龍江省の料理」のほかに、南方の「広東料理」、「山東料理」、「四川料理」などがあります。また、ロシア、フランス、イタリア料理などもあります。以上の飲食を提供するために一流ホテルの中にある高級レストランだけでなく、古い歴史を持つ老舗やモダンな現代的な食堂、世界の特色を吸収するいろんなレベルの違うレストランがあります。近年、各種の飲食チェーン店の経営や、香港と台湾系の喫茶店、コーヒーショップなどが多くあります。これらはハルビンの食の花を一気に咲かせる状況を作り出し,飲食も時運に応じて新たな形態が現われました。一口でハルビン市の飲食特徴をまとめて言えば、「素朴の中にすっきりしていて、豪放の中にも精華を持っている」ということではないかと思います。
ハルビン人の飲食は百家(たくさんの人)の長所を吸収し受け入れた一方で、寒い天候の変化に応じ冷凍食品と生鮮食事を代表とするこの地方独自の料理系列を作り出しました。それは地元の肉、魚、乳製品、野菜、豆、青果などを素材として、冷凍、塩漬け、焼き、炒め、揚げ、煮込み、燻製、餡かけなど独特な調理法で前菜、熱い料理、デザートなどを完成させます。「酸っぱい白菜と春雨の炒めもの」、「高菜と豆腐の煮込みもの」、「豚の腸と白い肉のスープ」などがその中の名物であります。その他に、地方の名物宴会もあり、割合良く知られているのは「ハルビン飛龍,これは(鳥の名前です)宴」、「ノロ(これは鹿の一種です)の宴」、「羊の丸焼き宴」、「魚の宴」、「鹿肉の宴」などであります。歴史上にはもっとも評判の高い「満漢全席(これは満州族の食事です)」もハルビン氷雪飲食の欠かせないメイン・ディッシュであります。
中国では「酒なしは席にならん」という諺があって,ハルビンの独特な食風土は食事ごとに酒を飲む習慣があります。酒も地元の原料で醸造し、またアルコール度数の高い酒が歓迎されます。「北大倉」、「大高粱」、「玉泉」など地元で知名度の高い酒があります。同時に、欧米特にロシア式の飲食風習の影響を受けて、ハルビン人はビールを飲むのが大好きで、女性を含む底なしの人が大勢います。ハルビン人のビール飲みはまったく水田を灌漑するようなものであるとの描写もあるくらいです。割合有名なビールメーカは「ハルビンビール」、「新三星」、「太陽島」であります。
ハルビン市に飲食企業は一万軒前後ありますが、営業面積が300平米以上で同時に100人を収容できる中型の店が3000軒ぐらいあります。各店は地元の食材を最優先しながら、南部の食材を北の調理法で処理する一方、中華料理と西洋料理の折衷を行い,北京料理、山東料理、四川料理、広東料理、蘇州料理、湖南料理、西洋料理など食の花が咲き乱れるような競争局面を形成しております。そのような競争によって、ハルビン人の食への要求を満足させるだけでなく、各地食文化の融合によりハルビンのグルメ天堂の位置を固め、ハルビンの飲食業界の更なる競争を促しました。
飲食業界の競争
あるデータによりますと、中国における飲食店舗はすでに374万軒あるとされており,平均すると中国では人口350人に一店舗の割合になります。ですが、190万軒の朝の軽い食事を提供する店舗と100万軒の簡単な食事を提供する小型店舗を除いたら、飲食基準がだんだん高くなっている市民の要求を満足させる店舗はまだ足りない状況であります。また、激しい競争によって短期間で多くの店舗が開業しますが、閉店ないし倒産するという悪性循環も目立ち、いかにして競争に打ち勝っていくかはこれからの飲食企業が直面しなければならない課題であります。
山東からの移民が多いためかも分かりませんが、ハルビンの市民の殆どは饅頭、肉饅頭、餃子、饂飩などが大好きで、中国では小麦粉を使った料理を麺類と言いますが,これらの麺類は飲食生活の中に欠かせない部分となります。特に餃子はこの麺類の中の極上品と誉められ、昔の大晦日とお客さんを招待する以外になかなか食べられない上等のものでありました。現在は、生活水準のアップによって餃子はすでに貴族の身分から極普通の市民の家でも食することができるようになり,人々に喜ばれ,また歓迎される大衆食品となりましたが、旧暦の大晦日と週末に餃子を食べる習慣は今まで受け継ぎ続けています。
近年、飲食を含む食品産業はすでにハルビン市の主要産業となり、関連の投資が増加しています。ハルビン市への外資系企業の進出について,食品やこれと密接な関係を持つ飲食業が期待されています。また、市民収入の増加と生活レベルの高くなっていることによって外食の機会も増えています。今、ハルビンにおける一つの家庭の平均外食はすでに月一回から周一回にアップし、伝統的な大晦日の夕食さえもレストランにシフトする市民も増えつつあります。これらはいろいろな面からハルビン市の飲食業の発展と競争を刺激したと考えられます。現在、ハルビンの飲食業はすでに新しい勢力として地元「風野料理がムードに現われて、」南方飲食ブランドがチャンスを攻め取り、外資飲食ブランドがどんどん進出しているという大競争の時代を迎えています。
日本企業のハルビン進出に関する提言
日本企業の中国市場進出についてはビジネスチャンスがあるかどうかの議論はもう必要がないと思います。有る資料の統計によりますと、2005年における中国の飲食業は著しく発展し,市場の規模も増大していて、1978年と比べて159倍の壮大となります。その中に特に強調したいのは三つあります。一つ目は中国人の平均飲食消費が増加していて、その趨勢もさらに加速しているということ。二つ目は外資系飲食企業の進入スピードが加速されて規模も大型化となっていることです。三つ目は飲食市場の規模化とブランド化がどんどん進められていることです。
下記の数字を挙げたいですが、2005年における中国飲食業界の総売上は8806億元,1兆3,200億円で、前年より16.8%増長しまして、15年連続の増長でした。去年度、飲食業が国に収める税金は484億元,7,260億円でした。飲食業界の外資進入も目立っています。2006年前半だけで外資利用額は1.3億ドルとなり去年より3.6%増長しました。世界的に有名な10大ファストフードブランド飲食企業の中に、ケンタッキー、マクドナルド、吉野家、ピザハット、ディコス、カフェドコラル、永和世界豆浆大王など八社がすでに中国に進出している。ケンタッキは2005年における中国飲食業の売上トップとなり、ファストフードの中華本土料理への衝撃をも伺えます。
ハルビンに進出している日系資本は、三菱自動車と東北軽合金公司の自動車エンジン項目が注目されていますが、日系食品企業と飲食企業の進出も市民の話題となります。日本でも有名な森永乳品のハルビン工場はすでに黒字に転じ、北隆食品会社も日本輸出の厚生労働省の許可を得られ日本への輸出をチャレンジしている。
麺類の代表であるラーメンを挙げますと、ハルビン桜木ラーメン、和風ラーメン、博多ラーメンの次に、今年の7月に新潟県上越市にある「源建設」と言う会社がハルビンでの最初の上越風のラーメン店をオープンさせて、市民の歓迎を得られうまくいっているそうです。歴史から見るとハルビン市と日本の間に切っても切れない関係と持っていたが、開放的で且つ受容性の強いハルビン市民はそのため日本の食事及び文化を拒否することはまずないと思います。逆に日本料理はハルビンでの収益空間が大きく、努力すれば成功の概率も高いと、これは私の率直的な考えです。
中国の東北地域に進出している新潟県内の企業はもう数十社に及びますがで、その中でも大連への進出が20社で圧倒的に多いです。今後はハルビンまでに北上すればいろいろなビジネスチャンスが出てくるでしょうね。
もちろん、新潟の食品及び飲食企業の中国進出は必ず成功できると思いません。特に中国北部の飲食分野へ進出しようと思われる日系企業にとっては、幾つかの注意点を心がけなければならなりません。
まずハルビンメリットとしては商圏が広くて人口も多いことが挙げられます。市内人口394万のほかに、周辺の消費人口を合わせて900万を超える商圏となります。そして、黒龍江省の省都で、飲食業と観光業の発展が特に重視されていて、飲食業の経済への波及効果も大きい。また、市民の消費レベルが高くて、外食の意欲が旺盛であります。ハルビンで行われる冬の氷祭りは有名で、夏季の避暑地観光など観光資源が豊かで、毎年6月に開催される「ハルビン商談会」など国家と地方レベルの盛会が多いです。ただし,以上の優勢に大してマイナスの面も無視できないと考えます。
まず、食品と飲食業界は値上がりが続く農産物値段の高騰に非常に敏感になっています。いかにして投資と経営のコストをコントロールできるかは永遠の課題で、特に日本企業の場合、食材の調達ルートを重視していますね。
その次に、日本企業が持っている先端技術をいかにしてハルビンの風土に結びつけ現地で消化し,合理的に吸収していくかの問題であります。台湾の旺旺食品集団と新潟岩塚製菓株式会社との技術開発と市場開拓野分担合作の成功例は良い参考となれると痛感しております。
第三、飲食は地域と民族習慣に深く関わってきます。いかにして日本料理或いは食品が中国人に受け入れられるのか。これも時間のかかる試練だと思います。上海の味千ラーメン、大連の王将餃子などの成功は粘り強い努力の段階を体験しましたね。
最後、強調したいのは、日系企業の中国投資と中国企業の日本投資は経済の相互依存の加速によって生まれた現象で、WIN-WINの結果だと理解してほしい。
一研究者として、新潟における食品ないし飲食企業のハルビン投資を歓迎し深く期待しております。日本飲食文化の進出は、中日友好を促し国民レベルの感情を理解し,多くの交流を促進する何よりの手段だと思います。
図:ハルビン最も有名な餃子チェーン店の「東方餃子王」本部

2007年01月18日
幸運な二度目の客員研究員―ー ERINA客員研究員着任の感想
ERINA調査研究部客員研究員・中国黒龍江省社会科学院研究員 笪志剛
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
3月17日、飛行機が新潟空港に到着した瞬間、機内アナウンスの美しい声を聞きながら、「幸運な二度目の客員研究員」の機会を得、懐かしい日本にまた来ることができたという感慨が心の底から急速に湧きあがってきた。私にとってERINAでの客員研究員は、首を長くするようにずっと憧れ続けてきた夢であり、いままさにそれが実現したのだ。日本国内には、三菱総合研究所、大和総合研究所、日本総合研究所など知らぬ人のないほど有名な超一流のシンクタンクがある。日本の各分野のエリートから成るこれらの高級シンクタンクは、日本経済や社会の行方を予測し、その「脈を測って」おり、学術界の枢要を占める立場から、日本政府の決定をある程度左右できると考えてよい。ところで、筆者の目から見れば、これらに匹敵する地方の研究所が一つある。それどころではなく、ある面では、より大きな強みをもっているかもしれない。それは、新潟を中心とする北陸地方で活躍している環日本海経済研究所(ERINA)である。
成立当初、ERINAの名はあまり知られていなかった。しかし、短期間のうちに日本海沿岸の学術界の枢要、情報の中心となり、北陸地方と北東アジア地域諸国との政治、経済、文化面などでの交流の掛け橋として、日本海沿岸諸県の国際化を促進する有名地方シンクタンクへと変身した。東北・北陸12県市及び企業の出資により支えられたERINAは、今や地域振興と経済発展に貢献する総合的研究所として内外で活躍している。
1993年の設立当初から、ERINAは北東アジア地域の情報収集と現地調査に力を入れ、地方間の協力により当該地域の国際交流、さらに北東アジア圏の早期形成を促進し、国際貢献を目指している。十数年来、ERINAは地方企業への知的支援や、一年に一度周辺諸国の政官財界の人物が集まる「北東アジア経済会議」の開催、「ERINA REPORT」の出版、さらに具体的プロジェクトの提案や推進などに取り組んできた。情報提供・研究から政策提言・プロジェクト提案に至るまで、広範かつ多岐にわたる実験を試みてきたのである。
「山は高きに在らず、仙有れば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有れば則ち霊あり」という劉禹錫の「陋室銘」の中の名言の通り、見た目の規模は大きくないが、名声は北東アジアに馳せ渡り、日本の地方国際化や交流に貢献し、北海道と並び称される日本海側の交流拠点と位置付けられるERINA。私はかねてから、その独特の地位と研究成果に心惹かれていた。今回、東北三省社会科学院とERINAの学術協定に基づき、客員研究員という身分で着任したが、まったく「百聞は一見にしかず」、「一見は肌で感じるにしかず」の言葉通りだった。久しぶりに、親切さに感じ入り、また、視野を広げる感覚が体にしみわたる感じがした。2001年に京都大学で一年間の客員研究員生活を送ったが、研究所とは多少雰囲気が違った。今度の客員研究員生活は、新鮮感いっぱいのスタートとなった。まだ1ヶ月ではあるが、意欲や希望に満ちた日々を過ごしている。特に、北東アジア地域における多国間協力、そして経済圏の早期実現への強い願望については、眼前にその姿を現すようであり、ますますその魅力に惚れ込んでしまった。
ERINAの魅力はさまざまあるが、特に感じたことを三つ挙げたい。
国際的な職場環境
今まで20回以上の訪日で、いろいろな大学や研究所を見学した際に、外国人の姿を見ることは少なくなかった。しかし、ERINAほど国際化が進んだ研究所は初めての体験だ。研究所の構成だけ見れば、もはや「北東アジア大家庭」ではないかと錯覚するほど多国化している。日本人はもちろん、北東アジア地域に属するロシア、中国、韓国、モンゴルからの研究者が何人もいるほか、研究所の幹部になっているロシア人もいる。それぞれ違う国から来ていながら、北東アジアの地域協力を促進するという共同理念の下、お互いに国家間の偏見を捨て、本音をぶつけ合い、学術と実務提携の立場から協力するという雰囲気がそこにある。周囲の席から、違う言葉、違う国との電話の声が聞こえてくるたびに、もしかしてこれは国際化あるいは地域経済一体化が具現化した姿、はたまた未来の北東アジア・東アジア共同体の学術分野での縮図ではなかろうかと錯覚し、その世界に魅入られてしまうのである。
前向きかつ濃密な学術的雰囲気
こんなことは当たり前だと考える人もいよう。もともと、日本では怠け者を養うことはないのだと。とは言え、ERINAにおける学術的雰囲気には独特な面があることを紹介したい。一部の研究所では、研究内容の評価が難しいため、過大あるいは過小評価が世に広がってしまっている。それに対し、ERINAは北東アジア全体の研究を目指すと同時に、ロシアのエネルギー問題と中国の東北地区、特に東北振興策関連の研究を重視し、当該分野で相当な成果を挙げており、中ロ両国政府からも評価されている。ここ十数年、ERINAは「北東アジア経済白書」、「ERINA REPORT」など質の高い成果物を多数出版し、その多くは海外、特に中国東北地区で頻繁に引用され、引用率の高い雑誌として注目を集めている。吉田理事長のリーダーシップの下、ERINAは東北地区を始め各地に学術及び実務の両分野で膨大な人脈を持ち、国や省を跨る重要な会議やプロジェクトの運営にあたっては、かけがえのない掛け橋の働きを果たしている。
「半辺天」を占める女性の魅力
ERINAのもう一つの特色は、女性の研究員や事務スタッフの比率が高く、しかも勤勉であることだ。研究最前線、図書管理、パソコン保守など、それぞれの場で活躍している。女性が「花として飾られる」ことが多い日本にあって、ERINAの女性達は特別な存在であり、別風景の窓を開けたような気分にさせてくれる。それは、日本政府が推進する「男女共同参画」の主旨の現れであるとも言える。女性が持つ熱情、勤勉、優しさといったものの裏に決して隠れてしまうことがない冷静、知的、博学などの面に触れるたび感銘を受ける。同時に、少子高齢化の進む日本で、いかにして女性の智恵を活かして日本経済の振興と社会の進歩に結びつけるかという厳しい課題も痛感した。
4月は新しい年の開始にあたり、運よく歓送迎会に参加できた。名残惜しい別れの寂しさと新スタッフを受け入れる嬉しさが交わる雰囲気のなか、研究所もこれからの発展の再スタートとチャレンジの時期を迎えている。北東アジアの発展に微力ながら貢献し、研究所の各種資源を最大限発揮し、政官財各界と提携して、ERINAが日本海に昇りつつある朝日とともに新たな輝きを迎えることを確信している。
朱鷺メッセ12階にある研究所の明るい窓ガラスを通して、港の輝かしい夜景を楽しみながら、自分がこのグループの一員として溶け込んでいくことに誇りを感じている(原文は日本「東方時報」掲載)。
4月の新潟は寒さを残しながらも少しずつ暖かさを増していった。日本海からの風は強かったが、そこにはもう春の香りが漂っていた。
3月17日、飛行機が新潟空港に到着した瞬間、機内アナウンスの美しい声を聞きながら、「幸運な二度目の客員研究員」の機会を得、懐かしい日本にまた来ることができたという感慨が心の底から急速に湧きあがってきた。私にとってERINAでの客員研究員は、首を長くするようにずっと憧れ続けてきた夢であり、いままさにそれが実現したのだ。日本国内には、三菱総合研究所、大和総合研究所、日本総合研究所など知らぬ人のないほど有名な超一流のシンクタンクがある。日本の各分野のエリートから成るこれらの高級シンクタンクは、日本経済や社会の行方を予測し、その「脈を測って」おり、学術界の枢要を占める立場から、日本政府の決定をある程度左右できると考えてよい。ところで、筆者の目から見れば、これらに匹敵する地方の研究所が一つある。それどころではなく、ある面では、より大きな強みをもっているかもしれない。それは、新潟を中心とする北陸地方で活躍している環日本海経済研究所(ERINA)である。
成立当初、ERINAの名はあまり知られていなかった。しかし、短期間のうちに日本海沿岸の学術界の枢要、情報の中心となり、北陸地方と北東アジア地域諸国との政治、経済、文化面などでの交流の掛け橋として、日本海沿岸諸県の国際化を促進する有名地方シンクタンクへと変身した。東北・北陸12県市及び企業の出資により支えられたERINAは、今や地域振興と経済発展に貢献する総合的研究所として内外で活躍している。
1993年の設立当初から、ERINAは北東アジア地域の情報収集と現地調査に力を入れ、地方間の協力により当該地域の国際交流、さらに北東アジア圏の早期形成を促進し、国際貢献を目指している。十数年来、ERINAは地方企業への知的支援や、一年に一度周辺諸国の政官財界の人物が集まる「北東アジア経済会議」の開催、「ERINA REPORT」の出版、さらに具体的プロジェクトの提案や推進などに取り組んできた。情報提供・研究から政策提言・プロジェクト提案に至るまで、広範かつ多岐にわたる実験を試みてきたのである。
「山は高きに在らず、仙有れば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有れば則ち霊あり」という劉禹錫の「陋室銘」の中の名言の通り、見た目の規模は大きくないが、名声は北東アジアに馳せ渡り、日本の地方国際化や交流に貢献し、北海道と並び称される日本海側の交流拠点と位置付けられるERINA。私はかねてから、その独特の地位と研究成果に心惹かれていた。今回、東北三省社会科学院とERINAの学術協定に基づき、客員研究員という身分で着任したが、まったく「百聞は一見にしかず」、「一見は肌で感じるにしかず」の言葉通りだった。久しぶりに、親切さに感じ入り、また、視野を広げる感覚が体にしみわたる感じがした。2001年に京都大学で一年間の客員研究員生活を送ったが、研究所とは多少雰囲気が違った。今度の客員研究員生活は、新鮮感いっぱいのスタートとなった。まだ1ヶ月ではあるが、意欲や希望に満ちた日々を過ごしている。特に、北東アジア地域における多国間協力、そして経済圏の早期実現への強い願望については、眼前にその姿を現すようであり、ますますその魅力に惚れ込んでしまった。
ERINAの魅力はさまざまあるが、特に感じたことを三つ挙げたい。
国際的な職場環境
今まで20回以上の訪日で、いろいろな大学や研究所を見学した際に、外国人の姿を見ることは少なくなかった。しかし、ERINAほど国際化が進んだ研究所は初めての体験だ。研究所の構成だけ見れば、もはや「北東アジア大家庭」ではないかと錯覚するほど多国化している。日本人はもちろん、北東アジア地域に属するロシア、中国、韓国、モンゴルからの研究者が何人もいるほか、研究所の幹部になっているロシア人もいる。それぞれ違う国から来ていながら、北東アジアの地域協力を促進するという共同理念の下、お互いに国家間の偏見を捨て、本音をぶつけ合い、学術と実務提携の立場から協力するという雰囲気がそこにある。周囲の席から、違う言葉、違う国との電話の声が聞こえてくるたびに、もしかしてこれは国際化あるいは地域経済一体化が具現化した姿、はたまた未来の北東アジア・東アジア共同体の学術分野での縮図ではなかろうかと錯覚し、その世界に魅入られてしまうのである。
前向きかつ濃密な学術的雰囲気
こんなことは当たり前だと考える人もいよう。もともと、日本では怠け者を養うことはないのだと。とは言え、ERINAにおける学術的雰囲気には独特な面があることを紹介したい。一部の研究所では、研究内容の評価が難しいため、過大あるいは過小評価が世に広がってしまっている。それに対し、ERINAは北東アジア全体の研究を目指すと同時に、ロシアのエネルギー問題と中国の東北地区、特に東北振興策関連の研究を重視し、当該分野で相当な成果を挙げており、中ロ両国政府からも評価されている。ここ十数年、ERINAは「北東アジア経済白書」、「ERINA REPORT」など質の高い成果物を多数出版し、その多くは海外、特に中国東北地区で頻繁に引用され、引用率の高い雑誌として注目を集めている。吉田理事長のリーダーシップの下、ERINAは東北地区を始め各地に学術及び実務の両分野で膨大な人脈を持ち、国や省を跨る重要な会議やプロジェクトの運営にあたっては、かけがえのない掛け橋の働きを果たしている。
「半辺天」を占める女性の魅力
ERINAのもう一つの特色は、女性の研究員や事務スタッフの比率が高く、しかも勤勉であることだ。研究最前線、図書管理、パソコン保守など、それぞれの場で活躍している。女性が「花として飾られる」ことが多い日本にあって、ERINAの女性達は特別な存在であり、別風景の窓を開けたような気分にさせてくれる。それは、日本政府が推進する「男女共同参画」の主旨の現れであるとも言える。女性が持つ熱情、勤勉、優しさといったものの裏に決して隠れてしまうことがない冷静、知的、博学などの面に触れるたび感銘を受ける。同時に、少子高齢化の進む日本で、いかにして女性の智恵を活かして日本経済の振興と社会の進歩に結びつけるかという厳しい課題も痛感した。
4月は新しい年の開始にあたり、運よく歓送迎会に参加できた。名残惜しい別れの寂しさと新スタッフを受け入れる嬉しさが交わる雰囲気のなか、研究所もこれからの発展の再スタートとチャレンジの時期を迎えている。北東アジアの発展に微力ながら貢献し、研究所の各種資源を最大限発揮し、政官財各界と提携して、ERINAが日本海に昇りつつある朝日とともに新たな輝きを迎えることを確信している。
朱鷺メッセ12階にある研究所の明るい窓ガラスを通して、港の輝かしい夜景を楽しみながら、自分がこのグループの一員として溶け込んでいくことに誇りを感じている(原文は日本「東方時報」掲載)。